うき事を独明しの旅枕 磯うつ浪もあわれとぞ聞
「貿易か・・・。」
下関から船に乗ると長州藩がなぜ関ヶ原で厳封されたにも関わらず大藩となったかがすぐに分かる。
下関の港には大きな問屋の蔵が並んでいたのだ。
これは、九州からの輸送、蝦夷からの北前線から大阪に輸送する際の中継地点なのだ。
かつては、蝦夷の珍しい海産物も直接大阪の問屋に届けていたという。
ただどうしても、届く時期に大阪商人に卸値を叩かれ困惑していたのだという。
その結果、下関に一度荷を下ろし、高値の時期に大阪まで届ける中継地点となった。
港は大層繁盛し、物産にあふれ、芸者宿なども数多く活気があった。
薩摩藩は、琉球からの密貿易などで大藩になったという。
既に藩内の作物からの利益だけでは大藩となる事は不可能な時代であった。
経済と言う観念を、少しずつこの国は学んで行ったのである。
龍馬は経済については、すぐに理解できた。
自身、才谷屋という豪商の親戚なのだ。
小さい頃から、商売と言うものを熟知していた。
そして、商人たちがもっと自由な貿易を求めている事を知っていたし、幕府の取り締まりに不満を覚えているのも熟知していた。
船が明石に着くと、もう夜であった。
夜でもいい。一刻も早く京を知りたかった。
土佐藩への届出は残り一月の時間しか許可を貰ってはいない。
龍馬が今、知りたいことはいくつもあるのだ。
何よりもまず、薩摩入京の真偽を確かめなくてはならない。
果たしてそれが本当なのか。
志士たちは意気盛んだが、嘘であれば、再び大獄と同じように志士狩りが起きてもおかしくない。
本当ならば、武市は時代の趨勢に乗り遅れてしまう可能性がある。
そもそも、前藩主島津斉彬候こそ、攘夷の急先鋒であり開明派の大将であった。
その斉彬候が三千の兵を率いて入京し、御所の警護をすると宣言したのだ。
だが、斉彬候は急死、計画は頓挫する事となった。
だが、ここに来て、幕府からの再三の新藩主参勤交代命令があり、病を理由に藩主代行として、斉彬候の弟であり、現藩主の実父でもある島津久光候が京に立ち寄るとの情報があった。
いや、それどころか、一気に二条城を奪い去るとの噂も流れていた。
長州藩の久坂玄瑞が、一藩勤皇を断念し、草莽の志士で立ち上がるべしと言い切ったのも、既に時代が動こうとしている、薩摩に後れを取ったかもしれないという意味である。
土佐もぼおっとしていれば、遅れる。ここは藩を捨て、志士となって薩摩と共に戦おうという趣旨だった。
・・・もしそれが本当ならば、乱になる。戦国以来の乱となる・・・
乱などは誰も求めてはいないはずなのだ。
今の幕府では駄目だと思う商人が多くても、乱を望んでいるわけではない。
憂きべき事が起きようとしている。
寝てなどいられるものか。
一刻も早く噂を確かめ、土佐に情報を持ち帰らないわけにはいかない。
海岸線を走る。
夜中だ。誰もいない。波の音と自分の吐く息の音だけがこだましている。
いつからか、龍馬は「死」に敏感になっていた。
死んだらいけん。死んだらいけん。
父や母、琢磨、寅、誰かが死ぬたびに自分の一部をはぎとられるような思いをした。
乱になれば、一人二人ではすまないのだ。いかんちや、いかんちや。
龍馬は駆けた。
明け方、大阪に着く。もう体力など残っていなかった。
大阪までくればまた船がある。
伏見まで、船で寝よう。文字通りの白河夜船で行こう。
大阪から伏見までの船は早朝からやっている。
商人などは朝一番で、作物を運ぶし、料理人などは魚を買いにやってくる。
船に乗り込み座った所で、龍馬は眠りに落ちた。
「おさむらいさま・・・おさむらいさま・・・」
「ん・・・う・・・ん・・・」
「えらい長い事、眠りはって・・・」
「お・・・お乙女あね・・・」
「はぁ?」
「水をもろうてえいかよ?」
「・・・はぁ。」
「ん?こ・・・こりゃ・・・ここはどこじゃ?」
「船宿どす。伏見の寺田屋申します。うちは女将のお登勢いいます。」
「お・・・とせ・・・」
「オトメちゃいますえ。オトセや。」
「すまん・・・世話になった・・・アシは急いじょ・・」
「なんを言うてはります。そんな病人みたいな人外に出せますかいな」
「じゃが、アシは・・・」
「今日は薩摩様もいいひんし、ゆっくりしておくれやす・・・」
「さ・・・薩摩!!!」
大阪から伏見までは舟での移動になる。
舟は主に船宿の持ち物で、舟の乗り賃と休憩所で商いをするのが船宿だった。
何かがあった時の為に一応、寝具なども用意し宿泊も可能だったが基本は休憩だった。
龍馬は寺田屋の舟で伏見までやってきて船頭が幾らゆすっても起きなかったのだという。
どこか、姉のお乙女に似ているこの女将とは、後年、親密となっていく。
「薩摩がここを使いよるか」
「へぇ・・・近々、藩父様がご入京するによって、宿泊所が足りんそうです。」
「ふむ」
「寺田屋だけでのうて、この辺の宿や、商家に到るまで借りてはります」
「そうか。そうじゃったか・・・」
「まぁ、まだ先の話ですよって、うちには先入りした方が時々泊まっていきます」
「ほうか・・・ほじゃ、聞きたいことがあるんじゃ」
「さぁ・・・なんですやろ」
「薩摩は・・・薩摩は乱を起こすんじゃろか?」
「おさむらいはん・・・うちも客商売どす。なんでもかんでも答えられしまへん」
「ほうじゃ。それはほうじゃ・・・」
「それになんや、密談などもしてはりますが、うちは盗み聞きなどよおしまへん」
「・・・ほうじゃった。すまんちや。無理を言うた」
「そやけど・・・」
「ちや?」
「うちは、京の町を焼くような方々を泊めるようなことはしまへん」
「!!」
「さ、とりあえず、なんか作らせますよって。やすんでおくれやす」
「・・・。」
「すまん!!」
お登勢が振り向くと布団から出た龍馬が土下座をしている。
侍が、こうもあっさりと宿の、それも女将に頭を下げるなど、見た事がない。
「こん国を変える、こん国を変える言うて、多くのもんがこん伏見を通っちょる。
中には薩摩と共に立ち上がると鼻息の荒いもんもおるじゃろ。
おんしゃ、それをなんの疑いもなく、アシを介抱してくれよった。
そればかりか、密談について教えいなんぞ、アシはアホじゃ・・・。
まずは礼をするんを忘れちょった。
たくさんの人が死ぬかもしれん思うたらいてもたってもいられんくなっちょった。
なのしいゆう、アシはアホじゃ。
おまさんのように、人に尽くす立派なもんに。
すまんきに。ほんにすまんきに。許しとおせ。
信をもって誠に尽くすたぁ、おんしの事じゃ。許しとおせ」
お登勢は目を白黒させた。
男が女を人物だと認めるなんて事が少ない時代に。
侍が、商人に頭を下げている。
船宿と言う商売柄多くの人物と出会ってきたはずだ。
中には有名な志士も数多くいた。
しかし、こんな侍は見たことがない。
「おさむらいはん。頭をあげてください。もったいない。」
「すまんのぉ」
「それより・・・」
「なんちや?」
「お名前をまだ聞かせて頂いておりまへん」
「・・・こ・・・これは、アシの、あの・・」
「もう頭下げへんでええどす、教えてください」
「土洲・・・坂本龍馬」
「坂本、龍馬はん。」
「火を吐く龍に、地を駆ける馬と書きます」
「へい。あんさん、大したもんや」
「へ?」
「ほんに、ただの志士ちゃいますえ。うちが保証しますよって」
「あ・・・あの・・」
「さ、食事にしましょう」
お登勢はまだこののちの寺田屋騒動も、龍馬との関係も知らない。
龍馬も、このお登勢に命を救われる事になるなんて夢にも思っていない。
明石にて
うき事を独明しの旅枕 磯うつ浪もあわれとぞ聞
2008年02月05日
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