2008年01月24日

常磐山松の葉もりの春の月

常磐山松の葉もりの春の月 あきハあはれと何をもいけん


ただ強くなるという事だけをやってきたはずだ。

それでも龍馬は強くなるという事がなんなのかわからなくなってしまったのだ。
剣術修行期間の延長を願い出て、年が明けた1月、龍馬は念願だった大目録を得た。
すぐに千葉佐那との婚儀の話がまたしても持ち上がったが、それよりも龍馬は時代の動きに翻弄されてしまった。
すぐに結婚をして道場を開くという時代ではなくなってしまったのだ。
佐那には申し訳なく、今は無理だとしか言えなかった。
せめて約束のためにと、佐那や千葉家の全ての人のの名前の入った免許が欲しいと願い出ると、長刀の免許を貰う事になった。
だが、龍馬は結婚などいつ出来るかもわからなくなっている。

老中筆頭阿部正弘の死の時の悪い予感が当たっていた。
遂に幕府は通商条約を何カ国とも結んでいったのだ。
それにともなって、急に、疫病が流行りだし、道場のような広い場所は一時的に病人を預かることもあった。
土佐藩主は、薩摩藩主や越前藩主と共に、次期将軍の嫡男問題で政治紛争していた。
薩摩の西郷吉之助や、越前の橋本左内など有名な志士が働いているという。
土佐では小南という家老が働いているというが、実を挙げていなかった。
武市は小南の指令で、他藩などの応接を繰り返し、志士として政治的に活動しだした。
そんな最中、外国との貿易は品不足から強烈なインフレを巻き起こし、庶民の暮らしは逼迫、次第に幕府のへの非難が集中している。
そんな状況下にあったのだ。

剣では何も変わらないことを龍馬は実感していた。
毎日、コレラで死んでいく病人がいる。
毎日、飢えて餓死している子供がいる。
そして、あの以蔵の剣の才能がどこかまぶたの裏に残っている。
剣は、人殺しの技でしかないのだ。
人を生かしてこその剣と教わっても、剣の攻撃力がなくなるわけではない。
千葉先生はそこに気付いたからこその大目録だと言うけれど、疑問は大きくなるばかりだった。
その剣が、外国の黒船の前では何の役にも立たない。
そして、今、政治の世界でも何の役にも立っていないのだ。

そして、時代は魔王を生んだ。
長野主膳。
彦根藩主井伊直弼の師匠であり家来でもあるという。
まったくどんな活動をしているのかもわからない。
生まれさえ確かではないのだ。
しかし、どういうわけか、江戸の情勢だけではなく、京都の情勢も・・・いや、それどころか、九州にいたるまで日本全国の情報を掴んでいる。
長野主膳が登場して政治は一変していくのだ。
あっという間に、井伊直弼が大老に就任。
政治闘争も、あっという間に、南紀派井伊が勝利し、次期将軍も決まってしまう。
まったく謎の経歴の国学者が、次々に重大決定をしていくのだ。

剣では何も出来ぬかもしれない・・・。
そう思っている時に、それが始まった。
世に言う、安政の大獄。
一橋慶喜、登城停止、徳川斉昭、謹慎、松平慶永、強制隠居、水戸藩内の人事権停止、手紙の往復禁止と矢継ぎ早に、有力大名が処分されていくのだ。
それに怒った、薩摩藩主島津斉彬は大デモンストレーションを起こす。
薩摩天保山沖で、黒船による大繰練をしたのだという。
一時的に志士たちは沸き立ったのだが、その数日後、島津斉彬が不審な死を迎える事になる。
もっとも有力であった政敵が次々に消えていくのだ。
魔王
長野主膳がどこまで関係しているのかもわからないまま、志士たちは怒り狂う事になる。
そして土佐藩主にもその災いが延びるのではないかと、土佐藩内も大騒ぎなのだ。

二年の剣術修行期間を終え。
大目録をとった龍馬にはもう延長は許されない。
土佐に様々な情報の伝達も支持されるであろう。
時代がどうしょうもなく暗く暗く動いていく。

何もでけん。
なんもでけんがじゃ。

秋が近かった。
何もかも忘れたいと願うほど龍馬は憔悴しきっていた。
東海道を剣一本で、剣術修行しながら土佐に帰ることを思いつく。
そうでもしないと、自分がどうしていいのかわからなかったのだ。

見上げれば。
初めて江戸に来た時に見た木々も、今は葉を落とし始めている。

もう土佐を出る事がないのかもしれん。
何もかも忘れ、龍馬は剣術修行を続けた。



常磐山松の葉もりの春の月 あきハあはれと何をもいけん
posted by 前方公演墳 at 20:32| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 龍馬伝説
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