君がくむ清き泉を世に流し にごりし四方の人にくまさん
武市が変わった。
江戸に来た時に変わったと感じた武市が殿様との謁見で更に変わった。
御前試合の差配を命じられ、勝利もした。
つまり、思った通りに全ての事が運んだ事になる。
殿様は終始ご機嫌で、自らの勤皇の素志などまで話した。
英雄と自ら言う土佐の殿様は流行の尊王を行動に示している。
朝廷に献上金などをしているのだという。
武市は当たり前のように、
「一身を賭して公の為、尊王の素志を貫徹致す所存」などと言う。
上機嫌の殿様は、それでよいそれでよいと、酒を片手に答えていた。
それ以降、武市は郷士をまとめながら非常に窮屈になった気がする。
門人たちには厳しく門限を決め、服装の乱れなども細かく注意するようになった。
命を懸けると宣言したのだから当たり前なのかもしれない。
他藩士との付き合いでもその重厚な人間性と、国学の知識、詩を愛する文才。
武市の名は名士としてあっという間に有名になっていった。
そんなある日。
土佐藩邸で老中筆頭阿部正弘の急死の話をしていた時のことだ。
「阿部は開国を決めた賊臣。天罰が下ったんじゃろ」
「そうではないぜよ。阿部殿は英邁な殿をご推挙くださった、いわば土佐の恩人じゃ」
「それはわからんでもないが・・・坂本、おまんは、どう思うんじゃ」
「ん?まぁ、アシにはようわからん。が、なんぞ厭な予感がするのう」
「厭な予感?」
「そりゃそうじゃ。それまで中心にいたものが急にいなくなったわけじゃ」
「アザ、それは病ではないということか?」
「いやいや、病は病じゃち思うがよ。また大きく動くじゃろう思う」
「呪いかもしれんぞ、坂本。お由良騒動をしっちょろう。どうも最近、そんな話が多い」
幕末期、何故かもっとも大事な時期に急死するという事が数々あった。
阿部正弘がその始まりだったかもしれない。
お由良騒動とは、賢候と名高い島津斉彬の嫡男が4人続けて呪殺されたという噂があり、
そこから始まったお家騒動であった。
その後その斉彬も、或いは、13代将軍、14代将軍、孝明天皇、と次々重大人物が急死する。
龍馬は何かを感じていたのかもしれない。
「武市先生!」
「なんじゃ、以蔵。大声をこんな時間に出すものでは・・・」
「琢磨が・・・琢磨が・・・」
「琢磨がどうしたんじゃ」
「琢磨が、強盗をやりおった!」
「なんじゃと!」
山本琢磨が同僚と酒を飲んでいた帰り道。
ちょっとした事で道行く商人と諍いになり、商人は逃げ去ったという。
その際に落ちていた風呂敷包みに南蛮渡来の懐中時計が入っており、質屋で換金したのだという。
しかも堂々とその場で帳面に土洲山本琢磨と記載したという。
すぐに商人から江戸中の質屋に連絡が入り、土佐藩邸に連絡が入ったのだ。
琢磨は武市にとっても龍馬にとっても、従兄弟であり、幼馴染である。
「・・・言い逃れはでけんな」
「アギ・・」
「すまん、武市先生、龍馬、すまん」
「おまさんは、土佐藩を殿の名を汚した。わかっちょろう」
「わかっちょります。すみません・・・すみません・・・」
「事が事じゃ。侍であるならば、腹を召せ」
「はい・・・はい・・・」
周囲の土佐藩士たちは怒っている。
藩邸の上士たちは郷士をまたしても指差している。
すぐに金を持って質屋に行き、商人に謝罪しなくてはならない。
その前に、責任を取って腹を切らせようと武市は言う。
山本琢磨はぐしゃぐしゃになって泣いている。
「アギよぉ、すまんちや、アシは琢磨をガキん頃からしっちゅう。ちくと二人だけにしとおせ」
龍馬は奥の間に有無を言わさずに琢磨を引っ張り込む。
直ぐにでも腹を斬りたがる琢磨を無理矢理にひきづって行く。
えいから、最後の話でもせんか、えいから。
「琢磨、とりあえず、泣くんをやめい・・・」
「龍馬さ、アシは・・・アシは自分が情けないぜよ。最後ぐらい立派に・・・」
「おんし、覚えちゅうがか?アシの歌うたヨサコイを」
「覚えちゅう。東海道を土佐者自慢しながら歩いたんじゃ」
「ほうじゃほうじゃ。おまさん、酒に酔うて、ほんに大変じゃったの」
「そのアシが・・・土佐を・・・」
「その時、アシが話した事を覚えちょるか?」
「龍馬さぁの話・・・」
「えいか。えいか琢磨。死んだらいけん」
「そ・・・それは」
「死んだらなんもでけん。言うたのを忘れたわけじゃなかろ」
「じゃがりょ・・・」
「逃げ。窓から。今なら皆部屋におるキニ。誰にもわからん」
「じゃが・・りょ」
「えいか。十年・・・二十年・・・何年かわからん。暫くは会えん」
「龍馬さ・・」
「じゃが、また、必ず会おうぜよ。のぉ、生きとおせ」
「じゃが、これ以上、土佐の面子を・・・」
「行方不明も、切腹もいないのは一緒じゃ。なんも変わらん」
山本琢磨は、頭が真っ白になったまま、言われたまま逃げた。
北に北に。
そしていずれ日本人初のロシア正教会の司教となるのだ。
晩年、龍馬のこの時の話になるたびに涙を流したという。
「アザ!おんしゃ、琢磨をどこにやったがか!」
「それがようわからん。ちくと用足ししちょったらおらんくなったがじゃ」
「な・・・」
「アギよぉ、おらんのじゃったらえいじゃろ」
「殿に・・・殿になんちゅうて詫びる気じゃ!!」
「殿の耳に入る前に、アシも一緒にその商人に頭下げるキニ。のお」
生と死。
二つしかなくなっている。
武市は、一身を賭してとすぐに口にする。
いや武市だけじゃない。
すぐに命を懸けるのだ。
人間とはそんなものだろうか?
清濁共に混ざり合っているのが人間ではないだろうか?
武市は窮屈じゃと、龍馬は口にするようになる。
龍馬は大きいと、武市は口にするようになる。
龍馬は、武市が汚れたものには死と直結させる事に何か厭な予感を感じていた。
武市半平太の句
君がくむ清き泉を世に流し にごりし四方の人にくまさん
2008年01月23日
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