あらし山花に心のとまるとも 馴しミ国の春なわすれそ
「もう堪忍しとおせ」
肩で息をする師範は言う。
父親譲りの大きな体格と裕福な家庭で栄養を蓄えたからなのか。
この所の龍馬の成長は著しく、あっという間に兄弟子たちを身長で追い抜いていった。
そんな大柄な地から余りある十代の若き剣士はどうも他の者とは違う。
何度、組討で打っても、柔で投げても、竹刀で叩いても、もう一丁と言う。
したたかに投げているのだから、体中痣だらけのはずなのに、もう一丁と言う。
時には、竹刀で叩かれて、伸びている状態からも、ウワゴトのように言うのだ。
いつだったか雨の日に、水練を中止しようとしても龍馬だけは鏡川に向かった。
今日は中止じゃと教えても、どうせ濡れるなら、同じじゃという。
なぜこの少年がここまで剣に打ち込むのかは誰も知らなかった。
少年自信も、はっきりとした自覚はなかった。
ただ、体の動くうちは何度でも立ち上がってしまう。
落ちこぼれのよばあたれ。
あの坂本家の泣き虫次男坊は16歳になっていた。
「おまん、強いんか?」
「まだまだ弱い」
「聞いちょるぞ、郷士の次男坊のくせに道場なんぞ通わせちもらっちょるそうじゃな」
「たまたま家が裕福じゃち、通うちょる。なんぞ、迷惑でもかけたんか?」
「ああ、迷惑じゃ」
「ええから、そこを開けとおせ。アシはもう帰らにゃならん」
「アシはおまさんより強い」
「ほおか。ほじゃったら余計にじゃ」
「ええから、ちょっとつきおうたれ」
年は2つか3つか下だろうか?
それでも、体格はずばぬけている。
男たちの世界では誰が一番強い、誰が一番弱いなどとよく話す。
この少年もどうやら自分の噂を聞きつけてやってきたのだろう。
そういう事があるというのはなんとなく知っていたけれど、自分が強いと思っていなかった龍馬はなんだか不思議で仕方がなかった。
これからこの年下の少年と果し合いでもするのだろうか?
「おまん、三天狗ちゅうのを知っちょるか?」
「三天狗?知らんよ、なんじゃ、それは」
「土佐にゃ、どうもえらい喧嘩の強い奴が三人もおるそうじゃ。三天狗ゆうちょった」
「よう知らん」
「これからその三人をやっつけに行くんじゃ」
「ほぉか。すごいのぉ」
「何を言うちょる。おまんもじゃ」
「アシ?なんでじゃね?」
「こっちももう1人仲間がおる。そいつの指名じゃ。強そうな次男坊がええちゅうてな」
龍馬は果し合いなんて興味がなかった。
それでも、三天狗という強い三人には興味があった。
指名したというこの少年の仲間にも興味があった。
「おお!連れてきたがか?以蔵!」
現れた少年はなんだかか細くて、綺麗な顔立ちをしていた。
両手にたくさんの木刀を抱えている。
八本の木刀だという。
真剣で斬り合ったら怪我をするではすまない。
相手の三天狗の分と、自分たちの分と、予備で一本ずつという事らしい。
真っ白でか細い少年が長い木刀を八本も抱えているのはなんだか滑稽だった。
既に果たし状を相手方に送ってあって、場所も決まっているという。
浦戸湾の傍の神社の境内にたどり着くと、先方はまだ来ていなかった。
恨んでいるわけでも嫌いなわけでもない相手と果たしあうのが不思議で仕方ない。
以蔵と呼ばれた少年も、色の白い少年も、なんだか大きな声で話している。
もう夕日が傾きかけていて、そろそろ真っ暗になってしまいそうだった。
「おまさんらか、三天狗に挑戦ちゅうのは?」
現れたのは親戚筋に当たる武市半平太ただ一人だった。
「ありゃ、なんじゃ?アギかよ!」
「ん??おんしゃ、龍馬・・・アザかよ?」
「おまさん、ここで何をしゆう」
「呼ばれたから来たんじゃ。三天狗っちゅうんは、アシらじゃ」
「ほじゃったか」
「じゃが、もうそんな子供のようなことしちょりゃせん」
「ほじゃろうのぉ、もう、おまさん、大人じゃ」
「おまさんこそ、何をしちょる」
「なんぞ、この二人に誘われて、ここまで来てしもうた」
「平井は・・・収二郎はどこじゃ!」
「間崎も、平井も来んよ。もういつ家督を譲られてもおかしくないキニ、こんなことしちょられん」
「逃げよったか!」
「かほ殿・・・おんしゃに勝てるわけがなかろうもん」
「勝てるぜよ」
「ええから、もう帰り。暗うなってからじゃ、兄者も心配するキニ」
「兄上は卑怯もんじゃ!」
色の白い少年は八本の木刀を抱きしめたまま泣き始めた。
「アシものぉ、おまさんらぐらいの時に、よぉ、喧嘩したもんじゃ。
あの頃、強い先輩がおっての。間崎と平井と三人で果し合いにいったんじゃ。
じゃが、にべもなく追い返されてしもうた。
アザ、おまさんのあにさんの権平殿じゃ。
アシがぼこぼこにやられての。平井も間崎も何もでけんかった。
じゃから、気持ちはよぉわかるよ。
じゃが、帰り。今日のところは帰り」
「そうは行くかよ!」
木刀をさっと手に取り、以蔵と呼ばれた少年が構える。
それは道場で習っているような構えとは全然違う構え。喧嘩剣法だった。
武市はすっと、木刀を持って構える。
あっという間に以蔵は年上の剣士にのされてしまう。
以蔵はとてつもなく早かったけれど、余りにも体格が違いすぎた。
「すまんの。おまさん、なかなか筋がえいきに。アシが剣を教えちゃるよ」
三人はもう暗くなったあぜ道をとぼとぼと帰る。
以蔵は負けた悔しさで何一つ言わなくなった。
顔の綺麗な少年はまだ泣いている。
「おまさん、女かよ」
「女で何がいけん。武家はなんで男の方がえらいんじゃ」
「・・・名前、なんちゅうんじゃ?」
「言わん。おまさんのような臆病者には教えちゃらん」
「ほじゃ、これから、やほこと呼ぶキニ」
「いやじゃ。そんな変な名前」
「八本の木刀を持っちょる姿が面白いキニ。八本コと書いてやほこじゃ」
「いやじゃ。うちの名前は、かほじゃ。平井かほじゃ」
「まぁ、じゃが、よう似合うちょる。また、その男の格好で遊んどうせ」
「おまんなんぞ、嫌いじゃ」
春の月がこうこうと三人を照らす。
今度、権平あんちゃんとも、稽古をしようと龍馬は思う。
いつまでもいつまでも、以蔵は黙ったままだった。
昭和五十六年になって平井家の文書が公開される。
そこには数編の龍馬の詩とともに、謎の女性の詩が縫い付けられていた。
あらし山花に心のとまるとも 馴しミ国の春なわすれそ 八本こ
2007年12月01日
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