2007年09月06日

ガキ大将

龍馬さんの物語を見ると、大抵はいじめられっこで寝小便タレの姿ばかりが目立つ。
確かにそれはその通りだったらしい伝承も残っているから間違ってはいない。
ただどうしても現代に生きていれば現代の感覚でモノを考えてしまうけれど。
当時の武士階級ってのは、大人になるのが非常に早かった。
十代で結婚するなんてのも別に普通の事だった。
だから、ちょっと年代的にずれているなぁと思うことがしばしばある。

恐らく、龍馬さんがいじめられっこだった時期は今の小学校低学年ぐらいまでの事だ。
寺子屋を首になった頃には、どうも龍馬さんってのはワルガキだったようにおいらには思える。
少なくても、寺子屋を首になったのは身分的に上の上士の子供と喧嘩したからだと言う。
しかも、真剣を抜いちゃったなんて話も残っているのだから普通に考えればワルガキだ。
泣きながら喧嘩するような場面を何度か見たけれど、ちょっとそうなると趣が違う。

当時は当然だけれど、義務教育なんてもんはなかった。
ようするに武士の子供たちは私塾に通って独自に勉強したのだ。
もちろん、藩が認める指南役というのもいて、個人的に通ったり塾のように集まったりもした。
どこそこで勉強したというのが当時の学歴になるわけだ。
土佐藩では上士と下士が習える塾にも差別があったそうだけれど。
龍馬なんかは経済的な面もあるし、親族に色々な先生がいて恵まれていたようだ。
その龍馬さんは結局寺子屋を首になって、剣の道に没頭する事になる。
日根野道場で、たちまち頭角をあらわしたのかどうかまでは伝説だとしても。
最終的に免許をもらえるほど強くなったわけで。
特に柔なんかも相当重視していた剣法だから、体が大きくなった事は容易に想像できる。
少なくても、経済的に恵まれていて食べ物に恵まれているし、剣術で鍛えているわけだし。
遺伝的にも体の大きな家系だから、あっという間に同級生たちよりも大きくなったはずだ。

十代の頃に詠んだ歌。
我なすことは我のみぞ知る。
・・・なんて、尾崎豊みたいに孤独な十代を思い浮かべるけれども。
体が大きくて、柔なんかで喧嘩も強いし、当然、金持ちの息子の龍馬さんは。
どう考えても、回りから頼られるガキ大将だったはずだ。

これは別に想像ではない。
その後の奇跡を見ても、年下の連中なんかが龍馬さんを頼ってたくさん脱藩したり上京してる。
饅頭やの長次郎さんだってかわいがってた気配がある。
どうも、えばりくさってるガキ大将じゃなくて。
バンカラな番長に近いガキ大将だった感じだ。
江戸で山本を逃がしてあげた経緯を見てもどうもワルガキ連中のリーダー格だったようだ。
武市はむしろワルガキ連中じゃないほうのリーダー格で、お互いを認め合ってたようだ。
それは、周囲にいる人物を見れば一目瞭然だ。
平井収二郎や、間崎哲磨なんかは武市グループだもんな。
龍馬さんはわりに身分を越えて、その辺のあんちゃんたちと楽しんでいた感じだ。

そこで以蔵だ。
以蔵も体がでかい。
腕っ節も当然いい。
腕の太さはとんでもなかったようだし。
年齢は本当は龍馬の少し下だったらしいけれど。
当然、付き合いがあった。
付き合いがあったのは以蔵が海軍塾に入ったことからもはっきりと分るわけだ。

ここからは妄想だけれども。
喧嘩の強い二人。
しかも、身分とかあんまり気にしない龍馬さん。
桂浜で相撲ぐらいしたんじゃなかろうか??
男の子だったらそのぐらいの想像はすぐにつくはずだ。
身近に、強そうなやつらが二人いれば。
どっちが強いかな??なんて、周りが騒ぎ立てるもんさ。
おいらの十代の頃だって、腕相撲やら、柔道やら、相撲やら。
体のでかいの同士でやっぱ競ったもんな。
武市なんかは、まぁ、ずっと年上だし、以蔵を道場に入門させるぐらいで関わらないだろうけどさ。

ちょっと想像しちゃうのだよ。
夕暮れの桂浜。
ワルガキ同士が。
ガキ大将二人の相撲をやんややんやと騒ぎ立てて盛り上げている姿を。

おいらはね。
そういう少年時代も含めて。
今回の舞台を創造して、涙を流しておるのだ。
posted by 前方公演墳 at 23:59| 東京 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | 「IZO」+「また冬が来て」
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