未だに岡田以蔵の写真として本なんかに発表されている人物像がある。
幕末期の写真はちゃんと調べないとインチキなものがある。
先日、おいらの両親が旅行に言ったら、フルベッキの学校の写真が宮部物屋に飾ってあって、
相変わらず平然と、志士達の集合写真であると書かれていたそうだ。
相変わらず本物と信じている人が多いのには閉口する。
以蔵の写真の間違いはそういう意図的なインチキとはいささか違う。
実は幕末当時、もう一人のオカダイゾウが存在したのだ。
その名も、岡田井蔵。
まったく洒落にならないぐらい同姓同名なのである。
しかも人斬り以蔵と遠からずの距離にいたのだ。
彼はなんと、勝海舟が咸臨丸に乗ってアメリカに渡った時に同乗していたのである。
だから、写真が残っちゃっているのだ。
その後、同姓同名の人斬りが、警護につくのだから勝海舟も驚いただろう。
残念ながら以蔵の写真は残っていないのである。
でも考えてみれば当たり前なのがわかる。
実際、当時の以蔵よりも上の立場の武市も久坂も写真など残っていない。
既にこの直には写真機は日本に上陸していたけれども、
そもそも尊皇攘夷を標榜する志士達にとって西洋の文化など相容れない物なのだ。
京都で尊皇攘夷の熱が高まっていた頃に異国のカメラを生業に生きることは不可能だ。
それこそ、天誅の対象になったっておかしくない。
以蔵が活躍した頃の京都にはカメラなんてものはなかったのだ。
有名な近藤勇の写真だってあと数年経たないと撮影なんか出来るわけがないのである。
しかし・・・。
そういえばその後の岡田井蔵の話はよく知らない・・・。
一体、どんな人で、どんな運命を辿っていったのか。
アメリカを知る武士は重宝されたはずなのだけれど・・・。
そして人斬り以蔵をどう思っていたのだろうか?
気になってしまうのである。
2007年09月04日
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