月と日のむかしをしのぶみなと川 流れて清き菊の下水
駆け足で東海道を下ると思ったよりも早く大阪に着いた。
そのまま大阪港を一度通過して兵庫まで向かう。
予定していた路銀も多く残っていた。
路銀は無論、坂本家からの仕送りが主だが、その他にも餞別もある。
江戸の土佐藩邸に勤める者の文を預かると僅かずつだが餞別を貰える。
飛脚はさすがに土佐までとなると高いので何人かで一度に送ってもらう。
それでも土佐に帰る者がいればそちらのほうが安いのである。
千葉道場でも多くの餞別を貰う。
定吉先生はもちろん、年配の師範格からも小遣いを貰った。
道場で一番多い水戸藩士からは全員から多額の餞別を預かることになった。
それは、全員から攝津坂本村に立ち寄って、奉納して欲しいのだという大量の文を預かったからだ。
摂津坂本村は、かつての湊川と呼ばれる地域で、楠正成が戦死した地である。
南北朝時代に、死するとわかって、戦地に赴き、後醍醐天皇の忠臣としてここに眠った楠正成。
水戸藩初代藩主徳川光圀公は、全国を回り大日本史の編纂をする。
その中でも最大の忠臣こそ、楠正成だった。
水戸光圀は、この地に碑文を立ててさえいる。
幕末期の勤皇運動は水戸学と呼ばれる日本外史から派生した歴史学でもある。
南朝を政党とし、南朝のために殉職した忠臣楠正成は、まさに武士の鏡とされた。
宗教的にまで、楠正成は尊敬されていた。
幕末の志士であれば誰もが立ち寄る地が、湊川だった。
近年の勤皇思想で盛り上がり去年より命日の5月25日には楠公祭が開かれている。
龍馬が江戸を立つ日が丁度その頃で、水戸藩士と共に詠唱したばかりである。
もう6月に入っていて、楠公祭には間に合わなかったが、ここに寄るために龍馬は走ってきたのだ。
龍馬も深く楠公に心酔していたのだ。坂本村という名前にも何か運命を感じた。
もちろん龍馬はまだここから程近い神戸村と深い縁を結ぶ事になるなんて思っていない。
まだ東西の行き来は武士にとってそこまで活発ではなかった。
龍馬は多くの同士の文や句を、光圀公の碑文に向かって読み上げ手を合わせる。
江戸の初期は南朝崇拝は厳しく禁じられていたという。
それは、足利幕府への反乱だったからだ。
「倒幕」という言葉が生まれたのは南北朝時代だったのだ。
徳川家は、天皇家を恐れ、権力を可能な限り奪い、自ら守護している。
二度と倒幕などは出来ない状態にしてあった。
南朝崇拝はある意味、幕府にとっては危険思想だったのだ。
しかし時の副将軍水戸光圀公が日本の歴史をまとめたのをきっかけに、持ち上がってしまう。
徳川家自らが、反対と賛成をしていたようなものである。
ふと、龍馬が見上げるとそこに光圀公が立っている。
水戸藩士に何度となく見せてもらった絵にそっくりな老子である。
こんな事があるのかと何度瞬きをしても、そこにその人は立っていた。
「関心です。わざわざ手を合わせに立ち寄るとは」
「水戸の藩士にも頼まれたきに、アシももう国を離れる事がでけるかわからんきに」
「十日ほど前の楠公祭でも多くの志士が集まりました」
「ほうじゃろうのぉ。アシも、一番尊敬しちょる御仁じゃ」
「わたしは、武士の方々がどこか羨ましいのです。皆、すめらぎに殉じる事が出来る」
「それは誰にでもでけるじゃろ。全ての民の大元が天皇様と聞いちょるよ」
「わたしは神官です。いつか、君の言う通り、殉じてみたいものです」
「アシは死にとうない思っちょるよ。生きて奉公するのが一番じゃきに」
「それもまた結構」
「ほじゃけど、楠公は、どんな気分で湊川まで来たんじゃろうのぉ」
光圀公はにっこりと笑う。
勤皇思想を作った張本人。
「これからこの国は大きく変わらなければいけない。
藩同士の関係だけではなく、異国との外交が本格的に始まろうとしている。
幕府は朝廷の勅許を得ぬまま異国と条約を結んだ。
全国の志士が、幕府への不信感をはっきりと抱くようになった。
今こそ、すめらぎの元、この国は大和民族は一つにならなければなるまいて。
既に、京だけでなく全国各地に勤皇の芽が芽吹いている。
大きく時代が変わろうとしている。
楠公に手向ける者もこれから多くなるじゃろう。
どうか君もこの国のために志を高く持ってください。
異国によるアジア侵略は既に清まで及んでいる。
神代の頃から続くこの国を、今楠公となりて、守ってください。
神官であるわたしには、志士に伝える事しかできない」
龍馬は何か恐ろしいモノを見ているような気分だ。
光圀公が目の前に現れて、国の為に死んでくれと言っているような気がしてならない。
そしてその言葉に感動して、自ら死に向かう志士が増えるであろう予感もあった。
水戸藩士は今すぐにでもこの国の為に命を投げ出しかねない顔をしていた。
光圀公・・・。
龍馬はふと呟く。
老子は笑い、名を告げる。
真木保臣。・・・のちに真紀和泉。
蛤御門の変で、長州軍を引き連れ、天王山にて囲まれ見事に自害する神官である。
見上げると楠正成公の家紋が旗にたなびいている。
菊花に川の紋。
やがてこの家紋を元に錦の御旗が作られるなど想像すら出来ない。
龍馬が好きな楠正成は、死に向かった事ではない。
最後まで堂々と清くあった事だった。
そのことを告げる事を龍馬はできなかった。
湊川にて
月と日のむかしをしのぶみなと川 流れて清き菊の下水
