丸くとも一かどあれや人心 あまりまろきはころびやすきぞ
「龍馬、おまん、面白い男じゃ。今度会うときはもう勝てんかもしれん。」
「溝淵さんにはよう世話になったきに。もっと強うなります。」
「いや、まぁ、強いだけじゃのぉて、なんちゃぁ、でかくなる。」
「でかくなる?」
「ほうじゃ、おまん、これからもっとでかくなるぜよ。」
「これ以上はいらん。目立って仕方がないキニ」
「そういう意味じゃねぇぜよ。誰とでも仲良くなって、なんちゅうか、すごい男になる」
「どんなにすごい男になっても溝淵さんには一生頭が上がらんじゃろ」
当たり前のように龍馬はにこにこと笑って溝淵に別れを告げる。
別にまたすぐにでも会うのだ。
それよりも早く千葉道場へと向かいたかった。
小田原を過ぎた辺りから人の量がまるで変わってきていた。
大阪も凄かったけれど、江戸は更に何倍もの人がいた。
江戸に近付くほど、宿場町は大きくなって、商人などは露天まで開いている。
年中、祭りをやっているようなものだ。
武家屋敷よりも町人たちの作る江戸という文化に触れたい。
そう思うのが、普通なのかもしれないけれど、龍馬はすぐにでも千葉道場に行きたかった。
これだけの人が集まる場所にどれだけ強い男がいるのか知りたかった。
江戸城を眺めながら龍馬は桶町に真っ直ぐに向かう。
日根野道場の紹介状を持って、千葉先生と面会をする。
既に初老とは言え名の知れた剣客、動きにスキという物がない。
きびきび動くわけではなく、優雅な動きだというのに、まったく見当たらない。
兄の千葉周作先生の方が剣客として有名だけど、定吉先生の方が強いという噂を聞く。
桶町の道場を開くまでは神田の玄武館では道場破りに無配だったという。
龍馬はさすがとほとほと感心してしまう。
「先生、お世話になります」
「んむ。道場には道場の規則がある。それをきちんと先輩に教わるように。」
「はい。あの・・・」
「うん?」
「先生の剣も、そのうち見れるがですか?」
「ええ?ああ、まぁ、そりゃあねぇ」
「わあ・・・」
定吉は感心していた。
自分の名声は天下に轟いている。
無論、年齢には勝てないし、自分よりも強い者だってこの世にはいるだろう。
それでも、剣客として、江戸では片手で数えられるほどの剣客と言われている。
だから、若い剣士は大抵が自分の前に現れると緊張してしまう。
形式通りの挨拶はしても、どうにもこの青年にはそれが見当たらない。いたって自然体である。
青年にありがちながちがちに固まっている感じも、挑むような感じもない。
ただ普通に友人と話しているのか或いは家族と共にいるようなそんな空気を持っている。
伊東と服部という青年に道場を案内される。
道場の規則も伊東という先輩はわかりやすく説明してくれる。
先輩といっても年齢は同じぐらいらしい。
服部という男はただならぬ気配を持っている。強い。それはすぐにわかった。
道場の熱気はすごい。
大勢の青年が竹刀を叩き合わせ、大声で叫んでいる。
伊東が、塾長らしき男の所に行くと、やめの号令で稽古がぴたりと終わる。
全員が止まり、正座をする。
「土佐からはるばる剣術修行にやってこられた坂本龍馬君だ」
「あ、すまんのぉ。稽古を止めることはないきに」
「ん?いや、構わん。自己紹介しなさい。」
「えーと・・・土佐の坂本龍馬いいます。よろしゅう・・・」
「ん?いや、ああ、まぁそうか。」
「はい。」
「小栗和兵法の皆伝を持っているとかも、言いなさい」
「小栗和兵法の皆伝をもっちょるがです」
「12人にしか許されない皆伝なんだろう」
「そ・・・そうだったんですか??」
ここで、ドッと道場内に笑いが起きる。
隣に立つ、千葉重太郎も苦笑している。
龍馬は頭をぽりぽりかくしか出来ない。
「旅の疲れもあるだろう。今日は休んで、明日から稽古に参加するように」
「いやいや、気にせんで下さい。少しでも早く参加したいがです」
「ほう、そうか・・・」
「はい。強い男があつまっちょる。もうたまらん。」
「じゃぁ、自己紹介がてら、小栗流を見せてもらおう」
藤堂という若い剣士が重太郎に呼ばれて立ち上がる。
防具をつけて早速、前に立つ。
何か浮き足立っている。
西国の剣士はこの道場には少ないし、19で皆伝という触れ込みもある。
若い者ほど嫉妬心がある。
ああ、そうかそうかと龍馬なりに感心する。
旅で溝淵と研磨しあって、どれぐらい強くなったのか自分でも知りたかった。
こんな若い猪武者になんだか嬉しくなってしまう。
竹刀を叩きつけてくる。
いなそうと思っていたが想像を越える撃剣。
その重さと年齢がつりあわないことに驚きを覚える。
袈裟、逆袈裟ときて、突きに来る。
こんな突きを受ければ、竹刀とて怪我をしてしまう。
八双に構え、剣先をはじいてもすっと、脇構えに入る。
もう一度突きに来るかと見せかけて、水平に胴を抜きに来る。
龍馬はつと前に出て、軸足を足で刈った。
そのまま倒れる藤堂にすと竹刀を向ける。
「それまで」
竹刀を振らぬまま、柔でなんとかいなすことは出来た。
道場はどよめきがもれる。
溝淵に教わった数々のことを試している自分に苦笑する龍馬。
すると防具をつけたままの小兵が現れる。
道場の中がまた一段とどよめく。
龍馬の前で構えるから、龍馬もそのまま構える。
今度は早い。
こんなに早い剣は見た事がない。
早いだけではなく、理にかなっているから無駄がない。
いや、無駄がないからこそ早いのかもしれない。
剣先だけなら以蔵のほうが早かったのかもしれない。
竹刀で防御するのに手一杯。
柔を仕掛けたくても、そのスキさえ見当たらない。
こんな剣士もいるのかと驚く。
いちかばちかの作戦しかないと大上段に構えたものの、相手はすっと青眼に戻す。
スキをあえて作って誘っても乗ってこない。
真っ向勝負しかないと思い、龍馬は、そのまま面を狙い打ち込みに入る。
今度は道場内に歓声があがる。
龍馬は撃剣だった。体格的に高い位置から繰り出される剣はよく体重にのって重くなる。
速度で適わないなら重さでという計算は間違っていないはずだ。
小兵は防戦一方になった。
「それまで」
定吉先生の声がした。
ぴたりと止まる。
まだどちらも一本を決めていない。
つばぜり合いに持っていって強引に投げをうとうと思っていたので不満が残った。
が、その途端に場内から拍手が起きる。
小兵は面を取る。
驚くことにその小兵は女だった。
「もういいだろう。佐那。」
「父上」
「坂本君。すみません。うちのじゃじゃうまが。」
「父上、剣を振らなかったのです。この人は。それでは試合になりません」
「それで佐那が出て行ったのか?」
「はい。投げを打ったのです。」
「それはすごいじゃないか」
「まぁ、どうせなら皆も聞くように。
剣を振らずに勝ったというのは剣の理想だよ。
剣には覚悟が必要だ。
相手を斬るには、刀の届く距離に行かなくてはならない。
自分の刀が届く距離はつまり相手の刀が届く距離でもある。
つまり覚悟が必要なんだ。それはわかるだろう。
しかし、剣は道具なんだ。手や足よりも前に出せる。
投げの間合いはしたがって、剣よりもずっと近くなる。
初めて手を合わす相手の投げの間合いに入ったというのは簡単なことじゃないよ。
まず斬らずに投げる方策を考えるってのはなかなか出来る事じゃないんだ。
竹刀での試合で柔を使っちゃいけないなんて規則はこの道場にはないよ。」
そういうと、すと、龍馬の肩に定吉先生が手を置く。
ふと、龍馬が先生の顔を見た途端に、ぐるりと目が回って天井が見える。
投げられたと気付くまで、龍馬は何が起きているのかわからない。
「これが合気。気を合わせると書く。
相手の体重移動に合わせて関節をひねれば自然に体が飛ぶ。
剣の理合と原理的にはそう変わらないよ。
ガツガツと気を立てて竹刀をぶつけ合うのも若いのには悪くないけれどね。
傷をつけない戦い方も全員、考えることだ
まぁ、坂本君は心が丸いね。傷つけたくないというのが強すぎる。
今も佐那に投げをうとうとしていただろう?
そりゃ、隙になる。男ってのは、一つだけでもいいから角も必要だぞ。」
龍馬は大の字になったままぽかんと口をあけている。
道場生たちはみな、正座をしている。
佐那だけがぶすっとしている。
重太郎はにこにことしている。
アシにはカドをもてるじゃろか?
龍馬は自分の弱点をいきなりつかれたような気がして、嬉しくなった。
丸くとも一かどあれや人心 あまりまろきはころびやすきぞ
