道をおもふただ一筋に丈夫が 世をしすくふといのりつついし
「侍にしておくのはもったいないねぇ」
その男はそう言った。
溝渕との江戸への二人旅は何もかもが新鮮だった。
大阪から、名古屋に出て東海道を下っていく。
どの町も土佐とは違う風景、土佐とは違う言葉、土佐とは違う流行。
男二人での旅とはいえ、追いはぎの被害に会うこともあった。
そんな時はいつも、溝渕があっさりと相手の手首をひねって終わってしまう。
宿場町に道場があれば尋ねる。
他流派お断りの道場もあれば、宿場町らしく泊めてくれる道場もあった。
時には、寺の軒先を間借りした事もあった。
道場や寺での宿泊の日は、溝渕に稽古を付けてもらった。
溝渕にはどうしても歯が立たなく、歩いている間もどうやれば勝てるのかじっと考えた。
「龍馬、ほれ、見ちゃれ。」
「・・・ああ!!!」
「遠くからとは違うじゃろ。」
「なんじゃぁ・・・まっこと、でかいぜよ・・・なんじゃぁ・・・」
「ほうじゃ。日本一じゃきにの」
「綺麗じゃ・・・でかいだけじゃねぇぜよ・・・なんちゅうか、すごい力じゃ!」
「東海道五十三次でしか観た事なかったじゃろ」
目の前に日本一の富士山があった。
遠くからも見えていたし、話には聞いていたし、5年前に亡くなった葛飾北斎の絵も知っていた。
それでも実際に目の前に見る富士はまったく予想を超えていた。
圧倒的な迫力はそのまま龍馬に迫る。
「でかい!でかいぜよ!!富士!!日本一じゃ!!」
龍馬は大きな声で叫ぶ。
東海道を歩く人が笑う。
溝渕は、これ・・・といさめながら顔を真っ赤にしている。
龍馬は、気にも留めずに大きな声で感動そのままに叫ぶ。
「おい、うるせぇなぁ。なんだい、お前さん」
顔に大きな傷。落とし差にした脇差、袖から見える刺青、旅笠。
渡世人そのままの大きな男が近寄ってくる。
「わりぃんだが、大きな声出したいんなら、よそ行ってやっておくんな。そこの茶屋で、うちの親分が休んでいるんでね」
「それはすまんことをした。アシは初めて富士の山を見たキニ。ついつい大声を出してしもうた。」
「そうだったかい。だからと言って、そのまま大声出すなんざ、聞いた事がねぇな。」
「なんでじゃろ?あんなにすごいんじゃ。声が出んほうがおかしいぜよ。」
「まぁ、俺は見慣れちまってるからよ。そう言われたらそうかも知れねぇ。」
男はちょっと意外な顔をしていた。
侍にうるせぇなんて言葉を使えば、喧嘩沙汰になる事も珍しくはない。
殆どの侍は刺青と体の大きさだけで真っ青な顔をするが、人数がそろうと途端に無礼者と言い出す。
この若い侍は、、怒るわけでもなく、怖がるわけでもなく、けらけらと笑っている。
どこから来たのかわからないが、聞いた事のないなまりをしている。
「おい。客人に何してやがる」
「へい。」
茶屋から、初老の男が出てくる。
物腰が柔らかそうで、本当に親分なのかわからない感じはある。
ただ体の周りから妙に大きな大きな気が溢れている。
「すまないねぇ。因縁つけていたのかい?」
「いえいえ。アシが大声出しちょったんじゃ。」
「大声?」
「富士山が余りにも綺麗で大声でほたえちょった。」
「ああ、そうかい。そういうもんだな。山ってぇのは。」
「ほうなんじゃ。じゃが、こん人が、親父さんが寝ちょる言うての。謝っちょったんじゃ。」
「そうかい。まぁ、ここは、天下の公道だ。好きなように叫べばいいさ。」
「もう充分、ほたえたきに。大丈夫ですき」
「お前さん、土佐かい?」
「おお!?わかるがですか?」
「まぁ、この辺は宿場町でね。人の出入りが多いから自然にな。この辺をなんとなく見張ってんだ、俺は。外から来てくれる連中でこの宿場は持ってる。だから誰だって客人だよ。」
龍馬はすっかりこの初老の男が気に入ってしまった。
傷のある大男は、ただもくもくと隣に立つだけで口を利かない。
溝渕さんはなんだか呆れ返って成り行きを見ているだけ。
博徒、渡世人と普通に話をしてしまうのだから仕方がないのかもしれない。
あれよあれよという間にどうもこの親分さんの家に泊まることになってしまう。
溝渕はふと思う。
ついこないだまではまだどこか内向的であったと思える青年が変わってきている。
見知らぬものを見て、食べて、歩いて、出会って、別れて。
今では知らぬ人とその日のうちに仲良くなったり、突然大声を出すようになっている。
龍馬には土佐は狭すぎるのかもしれないなどと思う。
身分や、自分の境遇に縛られていた龍馬はこんな笑い方をしている。
「渡世人ってのはね。まぁ、つまりは極道。道を極めることを言うんでさぁ」
「ほじゃ、アシも剣の道を極めよう思うちょるから、極道じゃ」
「まぁ、そういうこった。実際には侍も何も関係ねぇんだ」
「ほんに、そうじゃのぉ」
「でもよ、本当に大事な事を忘れちまった奴が多すぎるのよ」
「そりゃ、どんなことですかいの?」
「侍ってのは、幕府ってのは、まぁ、天朝様でもいいさね。何をするもんなんだい?」
「そりゃ、国のために働くんじゃろ」
「違うね」
「ほう。違うがですか」
「国ってのは、いったいなんなんだい?」
「国・・・?土地・・・ですかいのぉ?」
「違う違う。山にも木にも草にも、法なんか関係ねぇだろ」
「ああ、ほうか。ほうじゃ、人じゃ」
「そうだそうだ。民草だよ。民草のためにあるんだろうよ、武士ってのは」
「ほじゃ、親分さんは、この辺の人たちを守ってるんじゃね」
「そういうこった」
「・・・ほじゃ、道を極めるっちゅうんは、人のために生きるっちゅうことじゃのぉ」
初老の親分は、ぴたりと止まる。
途端に破願して大声で笑い始めた。
お前さん、すごいすごい。そう言っている。
「まぁ、お前さんも、剣を極める極道だ。
人を斬る方法に、人の為なんてぇことがあると思うかい?
それがさ。あるんだよ。間違いなくあるんだ。
渡世人なんてやってると、生傷がたえねぇさ。物騒な事も起きやがる。
まぁ、俺たちなんざロクなもんじゃないさ。
たまたまウソをつけねぇから、こういう風に生きるしか出来ないのよ。
それでもな、そこだけはわすれねぇのさ。
脇差抜いても、人の為。喧嘩をしたって人の為。
若けぇうちは忘れて羽目をはずしちまうもんだけどさ。うちの若いのにはよぉく教えてる。
お前さん、自分で気付くんだ、中々、大したもんさ。
そんな侍が増えればこの国も変わるだろうよ。
まぁったく。侍にしておくには惜しい。もったいない男じゃねぇか。」
旅は別れを繰り返す。
まだ早い時間に溝渕と共に龍馬は旅支度を済ませる。
「もうここまで来りゃ、江戸はあと少しだ。兄さんなら箱根も簡単に超えるだろうよ」
顔に傷を持った大男が初めて笑顔を見せる。
「じゃぁな。若いの。また清水港に来た時は顔を出しな」
「世話になったキニ。またきっと顔を出すぜよ」
「こっちこそ、久々に大声で笑わせてもらったよ」
「ほじゃ、行くぜよ。次郎長親分。」
「おう。侍が厭になったら、顔を出しな」
江戸はもう近い。
のちに清水の次郎長は、駿河に下った徳川家を庇護したという。
道をおもふただ一筋に丈夫が 世をしすくふといのりつついし
