もう一人のIZOを書いたついでといってはなんだけれども。
気になって仕方がない人物がいる。
やはり、岡田以蔵とそう遠くはない人物であり。
手繰っていくと、新撰組とまで繋がっちゃうような人物。
その名も、オカマタゾウ。
オカマだぞう!なんて洒落はともかく。
岡又蔵が、その人だ。
この名前は龍馬ファンでも通の人しかわからないだろうと思う。
佐々木多門という名の海援隊士の兄だという。
そんなもん、わかるわけねーーーだろーーーっ!ってなツッコミもあるかもしれないけれど。
実はこの名前が浮上してきたのは龍馬暗殺と関係があるのだ。
それで、おいらの中で気になって仕方がない人物になってしまった。
・・・というのも龍馬暗殺の資料の中でも比較的新資料にこの人物の名が登場するのだ。
坂本龍馬が暗殺された現場、醤油屋近江屋にて、なんと昭和50年代になって手紙が発見されたのだ。
いや、それまでも見つかっていたのだけれどきつくこれをあけることは禁じられていたらしい。
それが、急にご子孫が歴史的資料として提出してくださったわけだ。
そしてこの手紙に、なんと、龍馬暗殺についてのクダリがあったわけである。
その手紙はきちんと既に代金も支払われてあるにも関わらず。
何故か投函されないまま、近江屋新助の手文庫にしまわれたままだったらしい。
しかも、送り主は佐々木多門であるにも関わらず、近江屋新助といつわってある。
さて、この手紙の送り先が、
松平主税様御内 岡又蔵様と書かれておるのだ。
松平主税と言えば、新撰組の元となった浪士組の取締役で、当時は講武所の師範代。
なぜ、海援隊士が??と不思議なのである。
しかも、この文章の最後のクダリに・・・。
「才谷殺害人姓名迄相分り、是ニ付キ、薩摩ノ処置等、種々愉快の義コレアリ」
なんて、書かれていて、すわ!薩摩黒幕の証拠か!と騒がれたりした。
最近では、いや、薩摩が暗殺犯を探してくれたと言う意味ではないか?なんて説にもなってる。
でもおいらなんかは不思議なのは。
この岡又蔵さんが。
「才谷」を知っていたのかなぁ??という事なのだ。
江戸の講武所にいる人が何故??と思えて仕方がない。
もちろん、講武所にも、龍馬の知り合いがいなかったわけじゃない。
ジョン万次郎や、或いは、元祖師範の男谷精一郎は勝海舟の従兄弟だし・・・。
才谷殺害人だけで、龍馬暗殺の事件だとわかるものなのだろうか?
まぁ、佐々木多門自身が海援隊にいたのだから、前の手紙で説明していたのかも抱けど・・・。
佐々木多門を幕府の密偵だとする説もあるらしい。
ただおいらは実は。
なんらかの形で龍馬と勝海舟は別れた跡も連絡を取っていたと思っている。
龍馬暗殺についても、勝海舟はものすごい早い段階でその情報を得ているし、
恐らく手紙などは焼かれてしまっただけで実際には連絡を取っていたのだと思う。
この手紙も、もしかしたら、その一環なのかなぁ・・・なんて妄想をかきたてる。
でもね。
小野寺さんの妄想はあらぬ方向にも飛び火するのだ。
以蔵は捕まって死刑になったわけだけれども。
そのさらし首を見て、親戚や近所の連中は皆、似ても似つかない!なんて言ったらしいのだよ。
これは今も土佐に口伝として残っている事なのだけれども。
だから、ひょっとして・・・政治的取引で生き残ったとか・・・
或いは、本当に以蔵じゃなくて、無宿鉄蔵というのを以蔵ということにでっちあげてとか・・・
それで以蔵が生き残って、勝海舟のつてでその剣の才能から講武所に・・・なんて妄想しちゃうのだ。
岡又蔵とは、岡田以蔵の事で、佐々木多門は海援隊の連絡係だったみたいな・・・。
まぁ、そんな可能性は限りなく低い。
獄舎の中では顔を合わせていたのだろうし。
生きているうちに首の筋肉を斬られると顔がすごく変わると言うし・・・。
それでも妄想しちゃうんだな。
江戸で、龍馬訃報の連絡を受ける岡田以蔵をさ・・・。
