以蔵にもいくつかの失敗談がある。
記録に残っている最初に刀剣を使用したといわれる本間精一郎暗殺や与力暗殺なんかもそれだ。
本間精一郎暗殺では、一説によると刀が折れたと言われる。
それが本当なのかどうかはもちろん、相変わらず資料が乏しくてわからないままだ。
ただ、伝説が作られたであろう元の証拠のようなものが残っている。
京都の本間暗殺現場。
実は、劇団員の何人かとおいらはそこに行った。
そこには見事に壁に傷が残っている。
本間暗殺に関わった何者か、もしくは、本間自身の刀剣が木の壁を削った後が。
日本刀は世界一堅いと言われているけれど、堅い分、非常に折れやすいという側面がある。
あれを見れば誰かの剣が折れたという話が残ってもおかしくないと思う。
実際に、今でも京都に行けば観れるはずだ。
他にも寺田屋に行けば、柱に刀が当たった跡や、鉄砲玉の跡があるし、
蛤御門にも、たくさんの銃痕が残っているままで驚いた記憶がある。
その中でも、本間暗殺現場の跡は、妙に生々しかった。
恐らくはその余りにも数が多い岡田以蔵の暗殺に誰かが生み出したエピソードだと思う。
何かの小説で、壁の傷を見て、今も以蔵の刀の傷の後だという伝説を聞いた作者が、
刀が折れたというエピソードを作り上げたのだと想像する。
そうでなければ、実際、刀が折れたという証言が残っていてもおかしくない。
それともおいらの知らない所で残っているのだろうか?
本間暗殺について、土佐での取調べで口を割ったのは以蔵だと聞いているけれど・・・。
田中新兵衛の刀や、或いは、本間自身であっても何もおかしくはない。
また、与力暗殺での失敗談もある。
どうも以蔵はクセなのかなんなのか。
人斬りの前なのか後なのかは判然としないけれども、自分の名前を名乗るクセがあった。
名前を聞けば相手が恐れて逃げたり、隙を見せたのかもしれない。
或いは、それまで身分が低かったのに、有名になるにつれて周りの対応が変わったのかもしれない。
それが天誅であれば、名前を名乗って堂々と斬るべきなのだという思想があったのかもしれない。
理由まではまったく分からないけれど、覆面までしての暗殺でも以蔵は名乗ってしまったらしい。
武市にこっぴどくしかられたという逸話が残っている。
もちろん、それも本当なのかどうかまではわからない。
この失敗で土佐勤王党を除名されたなんて説もあるぐらいだけれど・・・。
ただはっきりと残っているのは勝海舟の証言だ。
勝海舟の護衛で、相手を斬ったときは、「土佐の以蔵と知ってのことか?この弱虫め!」と言っている。
それで、さんざんばらに逃げた暗殺者がいたというのだから名乗っていたのはあながち嘘ともいえない。
「名前による強さ」というのも以蔵はどうも強く意識していたのかもしれない。
考えてみれば、人種差別ではなく、身分差別の中に生きていた男だ。
同じ肌の色、同じ目の色、同じ人間であるにも関わらず、家名だけで差別されつづけた。
名前の持つ力というのを誰よりも理解していたとしてもおかしくはない。
ただ、完璧な暗殺者ではなかったというイメージを作りやすい男なのだと思う。
暗殺者といえば、例えば、忍者だとか、お庭番だとか、裏目付だとか。
どうしても完璧で、何時の間にか毒を仕込んでいたり、そっと殺していくイメージがある。
それがどうもこの岡田以蔵に関してだけは、どこか間が抜けたようなイメージがずっとある。
思うにやはり「馬鹿だった」という証言がどうしてもそういう方向に持っていくのだろう。
本当に頭が悪かったのかどうかは前述のようにおいらは疑問だけれど・・・。
剣が強くて、それでいて、頭が悪い、そんなイメージが何時の間にか定着している。
残念ながら、頭の悪い人間はそこまで強くなれるわけがないのだけれど。
どうしても、イメージの固定化みたいなものをしたいのだろう。
ここまでいくと、すでにキャラなのだと思う。
経済的な理由から、本もそれほど読んでないし、歴史などもそれほど知らないという、
知識不足を馬鹿と言っているだけなのだから、そろそろそんなイメージは捨てるべきだと思う。
そもそも龍馬さんだって、馬鹿だと証言が残っている。
それでいて、外国語を多少は理解して、日本人で初の議会制を提唱している。
当時の武士の常識における「頭が悪い」って言葉は、常識とされた学問内だけの話なのだ。
まぁ、それは現代の学歴的な部分においてもおおかた外れてないかもしれない。
知識ばっかあって理解力に欠ける有名大学生など今も腐るほどいるのだから。
けれども。
以蔵の本当の失敗はこんなエピソードではないだろう。
捕まった事かもしれない。
或いは、海軍塾をなんらかの理由で出て行ったことかもしれない。
おいらにはそう思える。
