2007年09月02日

以蔵は強かったか。

人斬りと呼ばれた剣士たちは間違いなく強かったと思われる。
その中でも、以蔵は群を抜いて多くの暗殺に関わっている。
それ以外にもニセ志士を斬ったり、或いは勝海舟の証言など人を一刀両断するほどの力があったという。
馬上の佐久間象山を斬った河上彦斉の実力は疑い様もないけれども、
い蔵に関しては本当に強かったのか?なんて言っている人がいるのも確かだ。

それは一つは、首を締めたり、地蔵担ぎと呼ばれる刀剣によってではない暗殺もあったり。
或いは、正式にどこそこの道場での免許皆伝や認可状を貰った形跡がないことから来ている。
実際、武市の道場でも恐らく正式な門下生というよりも武市の下男に近い存在だし、
武市と共に桃井道場に行っても、なんの免許も貰っていない。
武市とともに回った吸収武者修行でも、そういった話は聞いていない。
もちろん、経済的な理由などもあるのだろうから一概には言えないけれど、
完全に当時の剣術の流れからは外れた位置に存在しているのが大きな理由の一つだ。

構えすら独特である。
後ろの足に重心を残して前の足をぶらぶらさせていただとかの証言がある。
また、隼のように剣先が早かったという。
つまりは、以蔵の剣はオリヂナルであったという証言だ。
実際に、山の中で自分で作った木刀で練習していたとか、
野良犬を斬って、人斬りの練習をしたなんて風説も残っている。
もちろん、そのどれが本当で、どれが伝説なのかはさっぱりわからないままだ。

剣術というとよく勘違いされてしまうことなのだけれども。
今のスポーツの感覚でどうしても考えてしまう所がある。
例えば、ボクシングでもプロレスでも今の剣道でも良いけれど、
基本的に1対1で戦う。
けれども、当時の練習する剣術というのはまったくそういうものではない。
合戦をイメージして創られた剣術というのは基本が大勢VS大勢なのだ。
だから、今の柔道に近い組討だとか、空手に近い当身まで全てを総合した格闘術だった。
漫画なんかを見ても道場で1対1で戦っている場面がよく出てくるけれど、それはわりに嘘だ。
もちろん、そういう練習もしているし、実際に道場破りなんかへの対策もあるから重視していたけれど、
免許皆伝ともなると、組討などのやり方まで覚えなければいけない。
当然、寝技や関節技まであった。
坂本龍馬などは、柔の方が得意だったという話だってある。

また練習は、竹刀に始まり、木剣、そして歯引きされた鉄の剣、最後に真剣という段階がある。
今も残る流派などはある程度の段を取得するまでは真剣は抜かせてももらえないそうだ。
抜くだけで、一歩間違えれば指が落ちるのだから当たり前ではある。
竹刀も当時の幕末期に発明されたもので、それまでは、木刀による稽古が一般的だった。
もちろん、竹刀でも防具をつけていないと大怪我をしてしまうことがある。
木刀ともなると、死に至ることも珍しい事ではなかったという。

ただ今で言う学歴的な部分を江戸の道場などは多分に含んでいたようだ。
つまり江戸のどこそこの道場の免許があればハクがつき、出世もしやすくなる。
実際、当時の偉い人はほとんどが免許を持っている。
吉田東洋だって直新陰流だし、勝海舟は本当に強かった形跡があるけども持ってる。
だから、どうも金で入門して、ある程度の時間を経れば貰える認可状のようなものもあった。
流石に免許皆伝ともなると相当難しかったみたいだけれども、
それでも、宗派によっては乱発していた形跡がある。

以蔵はどうもそういう道場剣法にあてはまる人間ではなかったようだ。
包丁で魚を切るのだってきちんと歯を当てなければ切れない。
ましてや、長い真剣で人を斬るのは非常に困難なことである。
竹刀は円筒形だから歯を当てるという練習にはならない。
そんな中、以蔵は勝海舟の目の前で一刀両断にしているのだから、
やはり実力を疑うのは間違っているとおいらは思う。
間違いなく強かったというのがおいらの結論だ。

以蔵が座っている。
そこに志士が集まってはな詩を始める。
どこそこに住む誰々はけしからんという話をしはじめる。
以蔵がそっと立つ。
そして話が終わる前に以蔵が首を持ってきたという。
そんな早業など作り話としか思えない。
それでもどうにも、おいらには真実のような気がして仕方がない。
posted by 前方公演墳 at 23:59| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 「IZO」+「また冬が来て」