劇団前方公演墳の最大の特色の1つがオリヂナルの劇中音楽である事は誰もが認めている。
まるでそれは映画のように、毎公演ごとにテーマ曲があるんだよ。
旗揚げからずっと、吉田とおるさんが手掛けてくれている。
主催のデビッド・宮原がバンドをしていた頃のメンバー。
今は、アンダーグラフのサポートや、コンドルズのメンバーをやりながら。
多くのアーティストに楽曲の提供や、レコーディングディレクターまでやってる。
プロのミュージシャンだ。
おいらが参加した頃は、少しずつ仕事が増えている真っ最中だった。
それでも毎公演スケジュールを確保してくれて。
音響ブースで生でピアノを弾いたりしていたんだよ。
普通、劇団の音響さんは、ようするに音響操作、PAさんなのだけど。
うちは、ミュージシャンがそのまま音響ブースにいたんだな。
劇場の音響担当の人が珍しいなぁってっていつも驚いてた。
ZIGZOってバンドでサポートで活躍している時期に「IZO」が公演される事になった。
いつもだったら、稽古を見て、曲を考えるのに。
この時は忙しくなってきていたし、岡田以蔵ってイメージだけで曲を作るってとおるさんは宣言した。
おいらは今でも覚えているんだよ。
もう本番も間近になって、とおるさんがIZOの曲を持ってきた日のことを。
どんな曲か誰も知らなかった。確かデビッドさんも知らなかったと思う。
その曲が流れたんだ。
それまでだってもちろんすごいいい曲だった。
でも、なんか、IZOのテーマには、おいら、圧倒されちゃったんだな。
オーケストレーションを初めて使ったからだってとおるさんは言うけれど。
とにかく、キャッチーで、すぐにメロディーを覚えてしまう曲で。
そして、何よりも、とおるさんが、岡田以蔵という人物を音楽で表現したってのが。
なんか、ちょっとしたストリングスの音からも伝わってきたんだ。
そして何かが弾けた。
今の劇団では毎回の事になってきたけれど。
この時、初めて、クライマックスでは音が流れっぱなしになったんだよ。
その前も、ピアノがポロンと流れつづけている事はあったけれど。
テーマ曲がクライマックスに流れつづけたのはこの作品が初めてだった。
それは、すごいすごい大変な事だったんだ、初めてのときは。
だって、その音での表現もめいっぱい出したいじゃないか。
だから、アンプのギリギリ耳障りじゃないレベルまで音量を上げたんだ。
でもそれじゃぁ、今度は台詞が聞こえなくなっちゃう。
だから、台詞を言うタイミングで、ぴったしゲージを下げる事が必要になる。
とおるさんは役者のイキに合わせて、ミキサーのフェーダーをミリ単位で操作するようになった。
それはもう、ピアノの演奏と同じ、リアルタイムな演奏のようだった。
今の劇団では信じられないでしょ?
音楽が流れていないクライマックスだなんて。
でも、本当にそうだったんだよ。
おいらが、ああ、とおるさんとセッションしたなぁって初めて感じたのが。
「また冬が来て〜IZO2〜」だった。
それまでの、吉宗の江戸中が火事じゃからの音が入るきっかけとかもあったけど。
この作品で初めて、とおるさんときっかけを打ち合わせたんだよ。
最後の最後の台詞のところでさ・・・。
面白かったのは、本番中にとおるさんが走って音響ブースから降りてきてさ。
あそこのキッカケ、やっぱこっちにしよう!!って言って、また走って戻って行ったんだぜw
無線も使わないで、いきなり本番中にきっかけが変わるんだもん。
そりゃ、セッションだなぁって感じてもおかしくはないさ。
今日は完璧だったスネ!!なんて二人で言ったもんだw
懐かしいなぁ・・・。
IZOのテーマ曲の時に。
初めてアンケートに、サントラを出して欲しいってコメントが載った。
あれはなんか、おいらも嬉しかったんだよなーー。
そうなんだよ!この劇団の見せ場の1つなんだよ!聴いて思い出してくれよ!!って思ったなぁ。
とおるさんのファンの輝夢地さんってお客様はわざわざ島根から来てくれていたんだ。
懐かしいなぁ。
ZIGZOのとおるさんを見てさ。
いつか一緒のステージに立ちたいって思った。
なんせ、かっこよかったんだから!!
一回、紙芝居は出したけどねw
まぁ、あれはご愛嬌だもん。
そうじゃなくていつかどこかで同じステージに立ちたい人のトップの人だ。
明日のライブではとおるさんとバンドをやってるクワGさんも出るんだよなー。
とおるさんもこっそり観にきたら、飛び込みでIZOのテーマでも弾いてくれないかなぁw
時間差でのレコーディングは一緒に出来たんだけどさ!
今は音響ブースに毎ステージいれないぐらい忙しくなったとおるさん。
とおるさんにとってもIZOは思い入れのある作品なんだって聴いてる。
もちろん、メインは芝居だよ。
でも、その芝居を盛り上げるために最高の音楽がある。
音楽に負けちゃうような芝居はできないね。
オープニング。
IZOのテーマで鳥肌を立ててください。
2007年08月31日
2007年08月30日
殺陣
劇団前方公演墳には作家が3人いる。
・・・なんて書いてしまったら語弊があるとは思う。
作家は間違いなくデビッド・宮原しかいない。
それでもおいらの中ではスタッフの中に3人も作家がいてくれるという思いがある。
一人は音楽の吉田とおるさん、もう一人は殺陣師の荻野英範さん。
何故、作家なんだと言われれば、この二人は間違いなく創作をしているからだ。
この二人が劇団に創作してくれた様様な事は本当に財産だ。
デビッド宮原はもちろんゼロから台本を書くわけで。
音楽だって、殺陣だって、その台本を下敷きにしているといわれるかもしれない。
確かにそれはそうなのだけれども、演出意図を超えて、新しいエッセンスとして創作してくれてる。
おいらはいつもそう思っている。
とおるさんの音や、おぎちゃんの殺陣がなくてはうちじゃない。
おいらはデビッドさんを含めたこの3人をなんちゅうか信頼して、そして、尊敬して、アニキ的に思ってる。
とおるさんの音楽については後日書こうと思う。
人斬り以蔵と言えば、やはり、まずは、殺陣の話からだ。
劇団前方公演墳の台本には実は旗揚げの頃から立ち回りがあった。
最初が時代劇だったというのもあるし、それはどうしても必要なものだったのだと思う。
おいらが参加した吉宗暗殺でも、短いながらお庭の者と次郎長一家の立ち回りがあった。
それにしてもドシロウトである。
ちょっとかじったことがある人がいても、その程度じゃどうにもならない。
おいらも実は稽古したことがあったけど、全然、今やってるのと違ったものだった。
そんな最中、デビッド宮原が、岡田以蔵の物語を持ってきたのだ。
殺陣と書いて、タテと読む。
それをやらなくてはいけない状況になった。
兎に角、今読んでも、立ち回りのト書きがものすごい事になっている。
注釈付で非常に細かいのだ。
右に避けて水平に・・・うんぬん。
細かく書いてある。
兎に角、そういう風に書かないと殺陣師がいなけりゃ出来なかったからだ。
その次の作品が決まる前に。
おぎちゃんはやってきた。
ヒーローMONOという作品。
とおるさんの紹介で、おぎちゃんが殺陣をつけてくれる事になった。
ヒーローMONOだから、現代アクション。
それでも教わってみると、全然、今までと違ったことになる。
そして、ついに「また冬が来て〜IZO2〜」にて、初めて刀剣を使った殺陣をすることになるのだ。
おぎちゃんは、おぎちゃんの師匠、おやっさんまで連れてきてくれた。
武士の歩き方、座り方、刀の持ち方、置き方、腰への挿し方。
教わった事はもう1つや2つでは済まない。
覚えたくても覚える事が多すぎて忘れちゃう事もしばしばだった。
おぎちゃんもアクション俳優で、殺陣師なんて殆どした事がなかった。
だからおやっさんを呼んで、色々アドバイスも受けていた。
おやっさんは、荻野が言うなら・・・って、なんでも教えてくれた。
そして本番。
信じられない事が起きた。
土曜の夜だったような気がする。
以蔵の大立ち回り、決め台詞を言った瞬間。
客席から拍手が起きた。
そんな事、今までなかったから、本当にビックリした。
劇団が新しく生まれ変わった瞬間だったような気がする。
もう1つ後日談がある。
千秋楽の日の朝。
実はとんでもない事がおきていた。
おやっさんが、客席で腕を組んでいる。
おぎちゃんが何故か刀を握ってる。
おぎちゃんの先輩の久保さんまで刀を握っている。
そしてそのステージ上に、おいらと佐藤君がいた。
台本上に龍馬暗殺シーンやりたい的な事をデビッドさんは書いていた。
けれど、結局、ボツになったはずだった。
それを急に千秋楽で復活させると言い出したのだ。
しかも暗殺者はプロのアクション俳優たちである。
正直、見えないほどのスピードなのだ。
そう。実際に本番でやったのだ。
千秋楽だけ。
そのステージだけ、それは実行されたのだ。
ちなみに、おぎちゃんの刀を鞘で受けたら鞘が粉々になって木片がおでこに刺さった。
全然、止めてないじゃん、この人!!って驚いた。
本当に殺し屋の顔をしていたんだぜ。
その日につけてその日にやるなんて、滅茶苦茶だ。
一歩間違えれば大怪我だ。
それなのに、何故か、ドシロウトの小野寺と佐藤は大丈夫!とおやっさんが太鼓判を押しちゃった。
今回はさすがにそのシーンはない。いまのところ。
龍馬の舞台をやっちゃった後だしね。
どんなシーンになってるかはお楽しみに。
それでもこないだおぎちゃんに会ったら。
また、やろーぜー。俺、出るよーーー。
・・と、訳のわからないことを言っていた。
いまや前方公演墳に殺陣はなくてはならないものの一つになった。
中には、殺陣を見ているだけで涙が出てくるなんて芝居もおいらたちはやってきた。
その最初のきっかけの以蔵の再演が始まる。
・・・なんて書いてしまったら語弊があるとは思う。
作家は間違いなくデビッド・宮原しかいない。
それでもおいらの中ではスタッフの中に3人も作家がいてくれるという思いがある。
一人は音楽の吉田とおるさん、もう一人は殺陣師の荻野英範さん。
何故、作家なんだと言われれば、この二人は間違いなく創作をしているからだ。
この二人が劇団に創作してくれた様様な事は本当に財産だ。
デビッド宮原はもちろんゼロから台本を書くわけで。
音楽だって、殺陣だって、その台本を下敷きにしているといわれるかもしれない。
確かにそれはそうなのだけれども、演出意図を超えて、新しいエッセンスとして創作してくれてる。
おいらはいつもそう思っている。
とおるさんの音や、おぎちゃんの殺陣がなくてはうちじゃない。
おいらはデビッドさんを含めたこの3人をなんちゅうか信頼して、そして、尊敬して、アニキ的に思ってる。
とおるさんの音楽については後日書こうと思う。
人斬り以蔵と言えば、やはり、まずは、殺陣の話からだ。
劇団前方公演墳の台本には実は旗揚げの頃から立ち回りがあった。
最初が時代劇だったというのもあるし、それはどうしても必要なものだったのだと思う。
おいらが参加した吉宗暗殺でも、短いながらお庭の者と次郎長一家の立ち回りがあった。
それにしてもドシロウトである。
ちょっとかじったことがある人がいても、その程度じゃどうにもならない。
おいらも実は稽古したことがあったけど、全然、今やってるのと違ったものだった。
そんな最中、デビッド宮原が、岡田以蔵の物語を持ってきたのだ。
殺陣と書いて、タテと読む。
それをやらなくてはいけない状況になった。
兎に角、今読んでも、立ち回りのト書きがものすごい事になっている。
注釈付で非常に細かいのだ。
右に避けて水平に・・・うんぬん。
細かく書いてある。
兎に角、そういう風に書かないと殺陣師がいなけりゃ出来なかったからだ。
その次の作品が決まる前に。
おぎちゃんはやってきた。
ヒーローMONOという作品。
とおるさんの紹介で、おぎちゃんが殺陣をつけてくれる事になった。
ヒーローMONOだから、現代アクション。
それでも教わってみると、全然、今までと違ったことになる。
そして、ついに「また冬が来て〜IZO2〜」にて、初めて刀剣を使った殺陣をすることになるのだ。
おぎちゃんは、おぎちゃんの師匠、おやっさんまで連れてきてくれた。
武士の歩き方、座り方、刀の持ち方、置き方、腰への挿し方。
教わった事はもう1つや2つでは済まない。
覚えたくても覚える事が多すぎて忘れちゃう事もしばしばだった。
おぎちゃんもアクション俳優で、殺陣師なんて殆どした事がなかった。
だからおやっさんを呼んで、色々アドバイスも受けていた。
おやっさんは、荻野が言うなら・・・って、なんでも教えてくれた。
そして本番。
信じられない事が起きた。
土曜の夜だったような気がする。
以蔵の大立ち回り、決め台詞を言った瞬間。
客席から拍手が起きた。
そんな事、今までなかったから、本当にビックリした。
劇団が新しく生まれ変わった瞬間だったような気がする。
もう1つ後日談がある。
千秋楽の日の朝。
実はとんでもない事がおきていた。
おやっさんが、客席で腕を組んでいる。
おぎちゃんが何故か刀を握ってる。
おぎちゃんの先輩の久保さんまで刀を握っている。
そしてそのステージ上に、おいらと佐藤君がいた。
台本上に龍馬暗殺シーンやりたい的な事をデビッドさんは書いていた。
けれど、結局、ボツになったはずだった。
それを急に千秋楽で復活させると言い出したのだ。
しかも暗殺者はプロのアクション俳優たちである。
正直、見えないほどのスピードなのだ。
そう。実際に本番でやったのだ。
千秋楽だけ。
そのステージだけ、それは実行されたのだ。
ちなみに、おぎちゃんの刀を鞘で受けたら鞘が粉々になって木片がおでこに刺さった。
全然、止めてないじゃん、この人!!って驚いた。
本当に殺し屋の顔をしていたんだぜ。
その日につけてその日にやるなんて、滅茶苦茶だ。
一歩間違えれば大怪我だ。
それなのに、何故か、ドシロウトの小野寺と佐藤は大丈夫!とおやっさんが太鼓判を押しちゃった。
今回はさすがにそのシーンはない。いまのところ。
龍馬の舞台をやっちゃった後だしね。
どんなシーンになってるかはお楽しみに。
それでもこないだおぎちゃんに会ったら。
また、やろーぜー。俺、出るよーーー。
・・と、訳のわからないことを言っていた。
いまや前方公演墳に殺陣はなくてはならないものの一つになった。
中には、殺陣を見ているだけで涙が出てくるなんて芝居もおいらたちはやってきた。
その最初のきっかけの以蔵の再演が始まる。
2007年08月29日
その他の人々。
劇団前方公演墳には名物となっているキャラクターがある。
その名も男ABCD。
要するにその他の人々だ。
ミュージカルで言えばバックダンサーで、映画で言えばエキストラか?
こいつに光を当てちゃったのがデビッド宮原だ。
その黎明期。
一番最初に斬られ役が出てきたのが「IZO」だった。
人斬り以蔵を舞台化するには必然的に斬られ役が必要だった。
ただ、まだその頃には、斬られ役にも一人一人名前はついていた。
お互い名前を呼び合い、何度も何度も斬られていた。
何度も斬られる事すらギャグにしちゃってた。
そして「また冬が来て〜IZO2~」にて。
初代男ABCDが生まれたのである。
メンバーは、織田稚成、菊地智哉、溝口茂樹、成田血糖値。ABCD順。
何故、当時PASHIRI,現在バックドロップスの菊地が入っているのかといえば。
これにはちょっとした逸話があって、こうなったのであった。
本当は本隊の4人の予定だったのだけれども。
菊地だけはみだしちゃったのとw
高杉役を本隊でWにすることになったのもあってこうなったのだ。
初代を決める時は、ものすごい話し合いが行われていたのを覚えている。
結局、高杉が決まる前に、俺がやるよ!と言ったメンバーになったのだった。
ちなみに当時パシリも公演をしたのだけれども、この4人はパシリ側にも出演した。
そして、当時所属していた後輩の斉藤君の母親に。
「頑張って名前をもらってね!」と言われて、織田君が激怒しておったのを覚えている。
なんせ、いまや初代は伝説となった。
実際、それ以降の作品では必ずといって良い程、メンバーが代わっても登場する。
アンケートでも、以蔵の次ぐらいに大人気だった。
なんせ、出て来ては斬られるだけの男ABCD。
それが、もうハチャメチャに面白くなってきちゃうのだ。
芝居の嘘を巧みについたひどいキャラクターだ。
そして面白いことなのだけれども。
この初代のメンバーたちは。
妙にこの初代メンバーについて、コダワリ的なものがある。
・・・驚くほど思い入れが強かったりする。
菊地なんかには、最近、忙しいなら、無理して出ないでもいいんじゃないか?って言ったんだけど。
絶対に出たいと言い張るのである。
織田君と菊地は作品が決まった時点で、いよいよ初代だな・・・などと呟いているのである。
どんだけだよ!とも思うが、その後に繋がるキャラクターを作ったのはやはりこの男達なのだ。
定着するキャラクターを作るのがどれほど難しいことか考えればすぐにわかる。
そして。
今回の再演でこの初代男ABCDは完全復活する事となった。
まぁ、初めて出てきた時のインパクトは既にもうない。
なんせ、殆どの作品で出てきちゃうんだから仕方がない。
この際、名前があってもいいんじゃないか?って役にまで無理矢理最近はABCDにしてたりもするし。
考えてみればもう6年間も登場しつづけている現在は余りにも違いすぎる。
それでもどうしても期待してやまないのである。
何故ならおいらもこの4人こそ、最強だと信じているからである。
良く見てみるといい。
劇団内から出たお笑いコンビのザックバラン、インストール。二組のボケがいるのだ。
言ってしまえば、加藤と志村がいるということだ。
その上、高木ブーも、ダレとは書かないけれどもいるのだ。
こんな奴らの中にいると、何故か、ロックバンドの彼の普通なテキトーさが笑えるのだ。
いかりやさんはいないけれど、ツッコム人は何人もおるってわけだ。
まだ観ていない人。
覚悟するがいい。
初代の。
初代のすさまじさを!!
その名も男ABCD。
要するにその他の人々だ。
ミュージカルで言えばバックダンサーで、映画で言えばエキストラか?
こいつに光を当てちゃったのがデビッド宮原だ。
その黎明期。
一番最初に斬られ役が出てきたのが「IZO」だった。
人斬り以蔵を舞台化するには必然的に斬られ役が必要だった。
ただ、まだその頃には、斬られ役にも一人一人名前はついていた。
お互い名前を呼び合い、何度も何度も斬られていた。
何度も斬られる事すらギャグにしちゃってた。
そして「また冬が来て〜IZO2~」にて。
初代男ABCDが生まれたのである。
メンバーは、織田稚成、菊地智哉、溝口茂樹、成田血糖値。ABCD順。
何故、当時PASHIRI,現在バックドロップスの菊地が入っているのかといえば。
これにはちょっとした逸話があって、こうなったのであった。
本当は本隊の4人の予定だったのだけれども。
菊地だけはみだしちゃったのとw
高杉役を本隊でWにすることになったのもあってこうなったのだ。
初代を決める時は、ものすごい話し合いが行われていたのを覚えている。
結局、高杉が決まる前に、俺がやるよ!と言ったメンバーになったのだった。
ちなみに当時パシリも公演をしたのだけれども、この4人はパシリ側にも出演した。
そして、当時所属していた後輩の斉藤君の母親に。
「頑張って名前をもらってね!」と言われて、織田君が激怒しておったのを覚えている。
なんせ、いまや初代は伝説となった。
実際、それ以降の作品では必ずといって良い程、メンバーが代わっても登場する。
アンケートでも、以蔵の次ぐらいに大人気だった。
なんせ、出て来ては斬られるだけの男ABCD。
それが、もうハチャメチャに面白くなってきちゃうのだ。
芝居の嘘を巧みについたひどいキャラクターだ。
そして面白いことなのだけれども。
この初代のメンバーたちは。
妙にこの初代メンバーについて、コダワリ的なものがある。
・・・驚くほど思い入れが強かったりする。
菊地なんかには、最近、忙しいなら、無理して出ないでもいいんじゃないか?って言ったんだけど。
絶対に出たいと言い張るのである。
織田君と菊地は作品が決まった時点で、いよいよ初代だな・・・などと呟いているのである。
どんだけだよ!とも思うが、その後に繋がるキャラクターを作ったのはやはりこの男達なのだ。
定着するキャラクターを作るのがどれほど難しいことか考えればすぐにわかる。
そして。
今回の再演でこの初代男ABCDは完全復活する事となった。
まぁ、初めて出てきた時のインパクトは既にもうない。
なんせ、殆どの作品で出てきちゃうんだから仕方がない。
この際、名前があってもいいんじゃないか?って役にまで無理矢理最近はABCDにしてたりもするし。
考えてみればもう6年間も登場しつづけている現在は余りにも違いすぎる。
それでもどうしても期待してやまないのである。
何故ならおいらもこの4人こそ、最強だと信じているからである。
良く見てみるといい。
劇団内から出たお笑いコンビのザックバラン、インストール。二組のボケがいるのだ。
言ってしまえば、加藤と志村がいるということだ。
その上、高木ブーも、ダレとは書かないけれどもいるのだ。
こんな奴らの中にいると、何故か、ロックバンドの彼の普通なテキトーさが笑えるのだ。
いかりやさんはいないけれど、ツッコム人は何人もおるってわけだ。
まだ観ていない人。
覚悟するがいい。
初代の。
初代のすさまじさを!!
チケット速報!
発売10日足らずにて、千秋楽21日17時の回がSOLDOUTとなりました。
まだ、チケットぴあには、若干枚数が残っているようです。
千秋楽をご希望の方はお早めにご予約下さい。
また、これに伴い、20日の18時の回も残りわずかとなっております。
本隊公演「また冬が来て〜IZO2〜」の週末公演は人気が集中しております。
今週中にもSOLDOUOTになる可能性がございます。
もちろん、バックドロップス公演「IZO」の週末も、これで動き始めます。
あっという間になくなってしまう可能性もございます。
また、セット券をお求めの方で、土曜の1日のセットご希望などは、
なるべくお早めにご連絡くださいませ。
皆々様の応援のおかげでございます。
誠にありがとうございます。
劇団HP http://zenpou.net/
チケットぴあ http://t.pia.co.jp/
まだ、チケットぴあには、若干枚数が残っているようです。
千秋楽をご希望の方はお早めにご予約下さい。
また、これに伴い、20日の18時の回も残りわずかとなっております。
本隊公演「また冬が来て〜IZO2〜」の週末公演は人気が集中しております。
今週中にもSOLDOUOTになる可能性がございます。
もちろん、バックドロップス公演「IZO」の週末も、これで動き始めます。
あっという間になくなってしまう可能性もございます。
また、セット券をお求めの方で、土曜の1日のセットご希望などは、
なるべくお早めにご連絡くださいませ。
皆々様の応援のおかげでございます。
誠にありがとうございます。
劇団HP http://zenpou.net/
チケットぴあ http://t.pia.co.jp/
2007年08月28日
幕末は難しい。
NHKの大河ドラマの視聴率でランキングを作ると、幕末作品は大抵下位に甘んじるという。
その理由を戦国時代などとは違って合戦が少なく、また議論が多く、ドラマでは難解だからだという。
近年放送されていた「新選組!」もDVDの売上は良かったが視聴率は低かったそうだ。
何が難しいかといえば、まずは言葉の問題がある。
今回の再演に当たって。
改訂稿を出す斉も、一番神経を注がれている場所だ。
尊皇攘夷だ、勤王だ、佐幕だ、開国だ、と、やたらに難しい言葉が出てくる。
こうして漢字で書けばなんとなく意味は通じるけれども、
実際、口から音にして発せられる言葉だと何がなんだかわからなくなったりする。
その上、政治の状況は混乱しているのである。
例えば。
「勤王」の反意語が「佐幕」と思われている。
つまりは、勤王とは、我々は、天皇陛下直属の武士であるという宣言である。
また、佐幕とは、我々が幕府の武士であるという宣言である。
ところが政治的に観ていくとやたらに難しい状況だったりする。
例えば、勤王の頂点は当然、天皇なのだけど、時の孝明天皇は佐幕論者である。
その上、佐幕のトップ、時の征夷大将軍は、勤王なのだ。
トップ同志は共に、天皇を、幕府を、尊重していたという矛盾がある。
そうではなくて、尊王でありながら佐幕という事は十分に考えられることだ。
何故なら、社稷を守るのが天皇で、その天皇に指名されて徳川家は幕府を起こしているからだ。
本来、「佐幕」の反意語は「討幕」という事になる。
「勤王」の反意語は「奸族」になるのだろうか?天皇家に弓弾くモノになる。
反意語で並べていくのならば。
「攘夷」 の反意語は「恭順」である。
よく、「開国」だと言う人がいるけれど、「開国」の反意語は「鎖国」だ。
攘夷派、恭順派などと言われれば、若い侍が攘夷派になるのは目に見えている。
征夷大将軍とは、元々、夷を征する偉大な将軍という意味で、
夷を攘うという意味の攘夷とは、将軍の仕事だった。
開国と鎖国というすみわけ方なら実に簡単な事だ。
貿易をするのか、しないのかだけだし、そもそも鎖国政策は天皇家ではなく幕府が制定したものだ。
攘夷と開国とを反意語と捕らえるとたちどころにわけがわからなくなる可能性がある。
勝海舟や坂本龍馬は、開国攘夷であったと想像できる。
決して、開国攘夷という言葉でも矛盾はないのだ。
夷とは、つまり、侵略者の事だ。
漢字を解体すれば、弓を持つ人だとすぐにわかる。
侵略者は攘うのが、当たり前だけど、侵略しないのであれば貿易すればいい。
実際、オランダや中国とは幕府も貿易を続けていたのだから。
他にも難しい言葉がある。
漢字で書けば、「老公」なんて言葉はなんとなくイメージがつく。
まぁ、言葉のイメージほどは老いていない。
ようするに、隠居したかつての殿様の事だ。
幕末期に活躍した大名の殆どがすでに大名の権限を家督相続している。
薩摩藩の島津久光などは、大名になったことすらも実はなかったりする。
ローコーって言葉は、その藩の隠居して、それでも大きな権力を持つものの通称になる。
隠居したといっても、30代や40代だったりする。
難解といえば難解だ。
まるで歴史の授業や、古語の時間のようで頭が痛くなる気がする。
ところが実質はそうでもないんだぜっておいらなんかは思う。
実際、幕末期に活躍した多くの志士達はエリートばかりでもない。
本などもそこまでたくさん読める時代ではない。
漢字など、当て字に近い手紙が多数残っていたりする。
つまりは、そこまでの知識がないものたちがけんけんがくがくと議論を重ねていた事になる。
単純に歴史の流れだけを見ると、実は意外にわかり安かったりする。
おいらは個人的に。
坂本龍馬がそこまで頭が良かったとは思っていない。
非常にバランス感覚に優れていたのだって思ってる。
勝海舟はものすごく天才だけれども、やっぱり幕末期に一番、普通の人だったのだと思う。
そして岡田以蔵は、そこまでバカだったとおいらには到底思えない。
どんな時代でも、もちろん現在でもいい。
どこにでもいるような一人の若者だったとおいらには思えて仕方がない。
少なからず、スポーツ青年であり、開国が大事なのかもしれないと理解できるだけの頭があった。
幕末は難しい。
大河ドラマでは中々幕末作品をやることはないだろう。
それでも、舞台では幕末作品が繰り返されている。
最近、幕末作品を演じる劇団が増えてきた。
前方公演墳が始めた頃なんか、数えるほどしかなかったのに。
若者が一瞬の生を放出させる。
それが、舞台では逆に難しいという評価ではなく、面白いという評価に繋がっているのだろうなぁ・・・。
その理由を戦国時代などとは違って合戦が少なく、また議論が多く、ドラマでは難解だからだという。
近年放送されていた「新選組!」もDVDの売上は良かったが視聴率は低かったそうだ。
何が難しいかといえば、まずは言葉の問題がある。
今回の再演に当たって。
改訂稿を出す斉も、一番神経を注がれている場所だ。
尊皇攘夷だ、勤王だ、佐幕だ、開国だ、と、やたらに難しい言葉が出てくる。
こうして漢字で書けばなんとなく意味は通じるけれども、
実際、口から音にして発せられる言葉だと何がなんだかわからなくなったりする。
その上、政治の状況は混乱しているのである。
例えば。
「勤王」の反意語が「佐幕」と思われている。
つまりは、勤王とは、我々は、天皇陛下直属の武士であるという宣言である。
また、佐幕とは、我々が幕府の武士であるという宣言である。
ところが政治的に観ていくとやたらに難しい状況だったりする。
例えば、勤王の頂点は当然、天皇なのだけど、時の孝明天皇は佐幕論者である。
その上、佐幕のトップ、時の征夷大将軍は、勤王なのだ。
トップ同志は共に、天皇を、幕府を、尊重していたという矛盾がある。
そうではなくて、尊王でありながら佐幕という事は十分に考えられることだ。
何故なら、社稷を守るのが天皇で、その天皇に指名されて徳川家は幕府を起こしているからだ。
本来、「佐幕」の反意語は「討幕」という事になる。
「勤王」の反意語は「奸族」になるのだろうか?天皇家に弓弾くモノになる。
反意語で並べていくのならば。
「攘夷」 の反意語は「恭順」である。
よく、「開国」だと言う人がいるけれど、「開国」の反意語は「鎖国」だ。
攘夷派、恭順派などと言われれば、若い侍が攘夷派になるのは目に見えている。
征夷大将軍とは、元々、夷を征する偉大な将軍という意味で、
夷を攘うという意味の攘夷とは、将軍の仕事だった。
開国と鎖国というすみわけ方なら実に簡単な事だ。
貿易をするのか、しないのかだけだし、そもそも鎖国政策は天皇家ではなく幕府が制定したものだ。
攘夷と開国とを反意語と捕らえるとたちどころにわけがわからなくなる可能性がある。
勝海舟や坂本龍馬は、開国攘夷であったと想像できる。
決して、開国攘夷という言葉でも矛盾はないのだ。
夷とは、つまり、侵略者の事だ。
漢字を解体すれば、弓を持つ人だとすぐにわかる。
侵略者は攘うのが、当たり前だけど、侵略しないのであれば貿易すればいい。
実際、オランダや中国とは幕府も貿易を続けていたのだから。
他にも難しい言葉がある。
漢字で書けば、「老公」なんて言葉はなんとなくイメージがつく。
まぁ、言葉のイメージほどは老いていない。
ようするに、隠居したかつての殿様の事だ。
幕末期に活躍した大名の殆どがすでに大名の権限を家督相続している。
薩摩藩の島津久光などは、大名になったことすらも実はなかったりする。
ローコーって言葉は、その藩の隠居して、それでも大きな権力を持つものの通称になる。
隠居したといっても、30代や40代だったりする。
難解といえば難解だ。
まるで歴史の授業や、古語の時間のようで頭が痛くなる気がする。
ところが実質はそうでもないんだぜっておいらなんかは思う。
実際、幕末期に活躍した多くの志士達はエリートばかりでもない。
本などもそこまでたくさん読める時代ではない。
漢字など、当て字に近い手紙が多数残っていたりする。
つまりは、そこまでの知識がないものたちがけんけんがくがくと議論を重ねていた事になる。
単純に歴史の流れだけを見ると、実は意外にわかり安かったりする。
おいらは個人的に。
坂本龍馬がそこまで頭が良かったとは思っていない。
非常にバランス感覚に優れていたのだって思ってる。
勝海舟はものすごく天才だけれども、やっぱり幕末期に一番、普通の人だったのだと思う。
そして岡田以蔵は、そこまでバカだったとおいらには到底思えない。
どんな時代でも、もちろん現在でもいい。
どこにでもいるような一人の若者だったとおいらには思えて仕方がない。
少なからず、スポーツ青年であり、開国が大事なのかもしれないと理解できるだけの頭があった。
幕末は難しい。
大河ドラマでは中々幕末作品をやることはないだろう。
それでも、舞台では幕末作品が繰り返されている。
最近、幕末作品を演じる劇団が増えてきた。
前方公演墳が始めた頃なんか、数えるほどしかなかったのに。
若者が一瞬の生を放出させる。
それが、舞台では逆に難しいという評価ではなく、面白いという評価に繋がっているのだろうなぁ・・・。
2007年08月27日
土佐の身分差別
幕末と呼ばれる時代をいつからかというのは実は学者によって違う。
黒船来航からだという人もいれば、安政の大獄からだという人もいる。
桜田門外の変からだと主張する人もいれば、天保の改革からだという人までいる。
中には世界史的な意味合いから、蒸気機関の発明からだとか、植民地時代からという人までいる。
それぐらい、実は幕末というのは大きく時代と連動している。
決して、どこかで途切れる事があるような時代ではない。
中国のアヘン戦争だってオランダ人から情報が入っていたのだ。
いや、もっともっと古く辿る事だって可能なのだ。
例えば、幕末維新で大きく力を発揮したのは、関ケ原の戦いの西軍なのである。
毛利候の長州藩、島津候の薩摩藩、そして、長曾我部氏遺臣の、土佐の郷士たちが中心となった。
惨敗を喫して、不遇な処置を受けた者達の子孫が東軍の大将、徳川家の幕府を滅ぼしたのだ。
これは歴史の皮肉でもなんでもなく、きちんと繋がった事象だ。
歴史の教科書に乗っていた言葉を覚えているだろうか?
「一領具足」という言葉だ。
この言葉こそ、長曾我部氏由来の家臣たちのことを指している。
ようするに普段は畑仕事をしている。
その畑の傍には、常に、具足と刀を置いている。
半農半兵のモノタチこそ、最強と恐れられた土佐の長曾我部氏家来衆だった。
土佐という土地は古くは、刑場だったという。
京都を追われた罪人が、海を渡り、山を越えて、隔離された土地こそ土佐だった。
今も残る八十八箇所などには古代遺跡などもあり、古い土地である。
そういう罪人たちが集まる古来からの神域を治めたのが長曾我部氏だった。
関ケ原で破れた長曾我部氏は滅亡する。
代わりに土佐に入ったのが山内一豊。
近年、NHK大河ドラマでも話題になった。
山内は掛川藩六万石から、急に土佐二十万石へと出世したという。
そして、何よりも土地の長曾我部遺臣を恐れた。
半農半兵である、遺臣たちは、農民となったり、叛乱を繰り返していく。
やがて出来たのが、厳しい戒律の元に支配する、郷士制度だった。
更にその上士と下士という身分差別だけではなく。
細かく細かく、下士の中でも、身分が区別されていった。
日傘は贅沢だから禁止、高下駄は雨の日であっても履いてはいけないなど、
生活レベルでも、細かく細かく、戒律が決められたという。
武市半平太は、郷士の中でも最も偉い、白札郷士。
岡田以蔵は、郷士の中で最下級の位である、足軽だった。
ちなみに、のちに三菱を起こした岩崎弥太郎は郷士株を売ってしまった、地下浪人だったという。
足軽ともなると、農家よりもずっと貧乏だったという。
白い飯などほとんど口にすることもなく、
雨の日は、わらじがいたむからと、裸足で歩いていたそうだ。
他の藩では観られない、厳しい身分差別の最下級に以蔵はのたうちまわっていただろう。
事実。道場にすら通えない。
金がないだけじゃなく、どこも足軽など入門させてくれなかった。
足軽は、刀など使えなくていいという考え方だからだ。
上士は上士だけの道場、郷士は、富裕なそうしか通えないというのが一般だった。
以蔵は、木刀を自ら削り、野を走り、宮本武蔵に憧れて、自ら剣術を身につけたという。
そんな最下級の以蔵を入門させてくれたはじめての道場が武市半平太の道場だったという。
そして、以蔵の剣の才能を見抜き、武市は以蔵に足軽としては破格の待遇を与えた。
江戸への剣術修行だけではなく、九州方面への剣術修行の旅にも連れて行ったという。
土佐の維新四天王といわれる4人。
武市半平太は白札郷士。
坂本龍馬は富裕な商家の親戚であり、
吉村寅太郎、中岡慎太郎は、庄屋の出身だ。
土佐の郷士の中でも恵まれていた4人だといえる。
経済的に身分は低くても自立できていたのがこの4人だ。
一説によれば、この4人以外は米だけの飯を京都に行くまで口にした事がないとさえ言われる。
負けたから不遇になった。
長曾我部の遺臣たちは身分差別という形で300年もの間、怨念を募らせていった。
そして、古くからの刑場であった歴史が、半農であった歴史が、
自分たちは幕府の家臣ではなく、天皇の直属の家臣であるという思想を育てていった。
今も世界にはたくさんの差別が残っている。
彼らが戦った相手はそんな差別だったのだろうとおいらは空想する。
以蔵が本当に斬りたかったのは。
人間を差別する心だったのだと、空想する。
黒船来航からだという人もいれば、安政の大獄からだという人もいる。
桜田門外の変からだと主張する人もいれば、天保の改革からだという人までいる。
中には世界史的な意味合いから、蒸気機関の発明からだとか、植民地時代からという人までいる。
それぐらい、実は幕末というのは大きく時代と連動している。
決して、どこかで途切れる事があるような時代ではない。
中国のアヘン戦争だってオランダ人から情報が入っていたのだ。
いや、もっともっと古く辿る事だって可能なのだ。
例えば、幕末維新で大きく力を発揮したのは、関ケ原の戦いの西軍なのである。
毛利候の長州藩、島津候の薩摩藩、そして、長曾我部氏遺臣の、土佐の郷士たちが中心となった。
惨敗を喫して、不遇な処置を受けた者達の子孫が東軍の大将、徳川家の幕府を滅ぼしたのだ。
これは歴史の皮肉でもなんでもなく、きちんと繋がった事象だ。
歴史の教科書に乗っていた言葉を覚えているだろうか?
「一領具足」という言葉だ。
この言葉こそ、長曾我部氏由来の家臣たちのことを指している。
ようするに普段は畑仕事をしている。
その畑の傍には、常に、具足と刀を置いている。
半農半兵のモノタチこそ、最強と恐れられた土佐の長曾我部氏家来衆だった。
土佐という土地は古くは、刑場だったという。
京都を追われた罪人が、海を渡り、山を越えて、隔離された土地こそ土佐だった。
今も残る八十八箇所などには古代遺跡などもあり、古い土地である。
そういう罪人たちが集まる古来からの神域を治めたのが長曾我部氏だった。
関ケ原で破れた長曾我部氏は滅亡する。
代わりに土佐に入ったのが山内一豊。
近年、NHK大河ドラマでも話題になった。
山内は掛川藩六万石から、急に土佐二十万石へと出世したという。
そして、何よりも土地の長曾我部遺臣を恐れた。
半農半兵である、遺臣たちは、農民となったり、叛乱を繰り返していく。
やがて出来たのが、厳しい戒律の元に支配する、郷士制度だった。
更にその上士と下士という身分差別だけではなく。
細かく細かく、下士の中でも、身分が区別されていった。
日傘は贅沢だから禁止、高下駄は雨の日であっても履いてはいけないなど、
生活レベルでも、細かく細かく、戒律が決められたという。
武市半平太は、郷士の中でも最も偉い、白札郷士。
岡田以蔵は、郷士の中で最下級の位である、足軽だった。
ちなみに、のちに三菱を起こした岩崎弥太郎は郷士株を売ってしまった、地下浪人だったという。
足軽ともなると、農家よりもずっと貧乏だったという。
白い飯などほとんど口にすることもなく、
雨の日は、わらじがいたむからと、裸足で歩いていたそうだ。
他の藩では観られない、厳しい身分差別の最下級に以蔵はのたうちまわっていただろう。
事実。道場にすら通えない。
金がないだけじゃなく、どこも足軽など入門させてくれなかった。
足軽は、刀など使えなくていいという考え方だからだ。
上士は上士だけの道場、郷士は、富裕なそうしか通えないというのが一般だった。
以蔵は、木刀を自ら削り、野を走り、宮本武蔵に憧れて、自ら剣術を身につけたという。
そんな最下級の以蔵を入門させてくれたはじめての道場が武市半平太の道場だったという。
そして、以蔵の剣の才能を見抜き、武市は以蔵に足軽としては破格の待遇を与えた。
江戸への剣術修行だけではなく、九州方面への剣術修行の旅にも連れて行ったという。
土佐の維新四天王といわれる4人。
武市半平太は白札郷士。
坂本龍馬は富裕な商家の親戚であり、
吉村寅太郎、中岡慎太郎は、庄屋の出身だ。
土佐の郷士の中でも恵まれていた4人だといえる。
経済的に身分は低くても自立できていたのがこの4人だ。
一説によれば、この4人以外は米だけの飯を京都に行くまで口にした事がないとさえ言われる。
負けたから不遇になった。
長曾我部の遺臣たちは身分差別という形で300年もの間、怨念を募らせていった。
そして、古くからの刑場であった歴史が、半農であった歴史が、
自分たちは幕府の家臣ではなく、天皇の直属の家臣であるという思想を育てていった。
今も世界にはたくさんの差別が残っている。
彼らが戦った相手はそんな差別だったのだろうとおいらは空想する。
以蔵が本当に斬りたかったのは。
人間を差別する心だったのだと、空想する。
2007年08月26日
岡田以蔵の発見。
岡田以蔵という人物は幕末史の中でも異彩を放ち続けている。
多くの暗殺事件に関わり、また残った資料も乏しい人物であるにも関わらずだ。
彼の事を書いた文章というのはそれほど多くはない。
もっとも、きちんと書かれたのが土佐勤王史であることは間違いがないと思う。
明治維新後、土佐勤王党は復権して、その勤王の歴史を編纂した。
その本の中で、岡田以蔵という人物は徹底的に痛罵されている。
それどころか、土佐勤王党血判書からは名前が消された可能性すらある。
彼が何故、そこまで勤王党に嫌われたのかは明らかになっていない。
土佐勤王党を壊滅に追い込んだ、自白があったとか、
或いは、拷問の斉、子供のようになきじゃくったなどなど、
まるで志士とは認めないといいたげな文章ばかりが目立つ。
果ては、酒色におぼれていただとか、頭が悪かったなどなどだ。
暗く、暴力を愛する、薄汚い人斬りのイメージが今も多くの小説などにも反映されている。
そしてそのダーティーなイメージに多くのファンや、或いはアンチが生まれている。
けれどもその岡田以蔵が唯一、ひょうきんなイメージとして語られている資料がある。
今も本屋に並ぶ、勝海舟の「氷川清話」がそれだ。
勝海舟の護衛についた以蔵が勝を暗殺に来た浪士を一刀両断にする。
勝海舟は人を斬る事を以蔵にいさめる。
ところが、以蔵はあっさりと、
「けれど、私が斬らなければあなたの首はそこについていません」
なんて答える。
勝海舟は、思わず答えを失ってしまう。
別にひょうきんじゃない話だと思う人もいるかもしれない。
けれども前後の文章群を読みつづければそれがどんなに楽しげに語られているかがわかる。
実際、勝海舟は時の大臣だろうが総理だろうが、ボロクソにこきおろしている。
言葉を俺が失う事なんかないんだぜ!と言わんばかりだ。
そんな中、昔の武士は、覚悟が決まってたぜ!なんてぇ、話の中にポツンと現れる。
あれ?以蔵の暗いイメージじゃないぞ??この話は??といった具合だ。
デビッド・宮原は、この以蔵を発見してこの作品を書くことを思い立った。
人斬り以蔵ではなく、岡田以蔵の発見だ。
政治的な意味での暗殺だけでも9件も発覚しているけれど。
この話にもあるように、人斬りと呼ばれる男たちは相当斬ったようだ。
当時は、一攫千金を狙ってのニセ志士などが京都にはたくさんいて、
浪士と呼ばれる偽名を語る輩などは毎日の様に斬られていたという。
その政治的に暗殺したと思われる相手を見るとここに大きな矛盾が発見される。
土佐勤王党である岡田以蔵は。
当然、政治的な暗殺の相手を、佐幕側や、安政の大獄に関わった人にしている。
その岡田以蔵が、勝海舟の護衛などするはずがないのだ。
また、神戸海軍塾(海軍操練所と併設された勝海舟の私塾)の名簿にも名前がある。
尊皇攘夷を歌っていた、土佐勤王党最強の刺客が、どういうわけか幕府側の開国主義者の弟子になっている。
そしてその橋渡し役はやはり海軍塾塾頭の坂本龍馬しか考えられない。
バカな男が、果たして、海軍塾に入るだろうか?
人を斬るしか能のない、酒色におぼれた男が、勝海舟を護衛するだろうか?
軍艦奉行勝海舟を斬れば全国に名が行き渡るのに。
しかも以蔵は最終的に土佐勤王党と運命を共にするのである。
まるで矛盾しているとしか言い様がない。
デビッド・宮原はその謎を作品を通して少しずつ解き明かしていった。
そしてその発見からIZOが生まれた。
近年。
岡田以蔵が勝海舟より贈られた短銃が発見された。
日本刀を隼のように速く振ったと言われる人斬りには余りにも似合わない品だ。
私物の為、限定期間でしか後悔されないという。
まだまだ岡田以蔵の真の姿は発見され続けるのだろう。
多くの暗殺事件に関わり、また残った資料も乏しい人物であるにも関わらずだ。
彼の事を書いた文章というのはそれほど多くはない。
もっとも、きちんと書かれたのが土佐勤王史であることは間違いがないと思う。
明治維新後、土佐勤王党は復権して、その勤王の歴史を編纂した。
その本の中で、岡田以蔵という人物は徹底的に痛罵されている。
それどころか、土佐勤王党血判書からは名前が消された可能性すらある。
彼が何故、そこまで勤王党に嫌われたのかは明らかになっていない。
土佐勤王党を壊滅に追い込んだ、自白があったとか、
或いは、拷問の斉、子供のようになきじゃくったなどなど、
まるで志士とは認めないといいたげな文章ばかりが目立つ。
果ては、酒色におぼれていただとか、頭が悪かったなどなどだ。
暗く、暴力を愛する、薄汚い人斬りのイメージが今も多くの小説などにも反映されている。
そしてそのダーティーなイメージに多くのファンや、或いはアンチが生まれている。
けれどもその岡田以蔵が唯一、ひょうきんなイメージとして語られている資料がある。
今も本屋に並ぶ、勝海舟の「氷川清話」がそれだ。
勝海舟の護衛についた以蔵が勝を暗殺に来た浪士を一刀両断にする。
勝海舟は人を斬る事を以蔵にいさめる。
ところが、以蔵はあっさりと、
「けれど、私が斬らなければあなたの首はそこについていません」
なんて答える。
勝海舟は、思わず答えを失ってしまう。
別にひょうきんじゃない話だと思う人もいるかもしれない。
けれども前後の文章群を読みつづければそれがどんなに楽しげに語られているかがわかる。
実際、勝海舟は時の大臣だろうが総理だろうが、ボロクソにこきおろしている。
言葉を俺が失う事なんかないんだぜ!と言わんばかりだ。
そんな中、昔の武士は、覚悟が決まってたぜ!なんてぇ、話の中にポツンと現れる。
あれ?以蔵の暗いイメージじゃないぞ??この話は??といった具合だ。
デビッド・宮原は、この以蔵を発見してこの作品を書くことを思い立った。
人斬り以蔵ではなく、岡田以蔵の発見だ。
政治的な意味での暗殺だけでも9件も発覚しているけれど。
この話にもあるように、人斬りと呼ばれる男たちは相当斬ったようだ。
当時は、一攫千金を狙ってのニセ志士などが京都にはたくさんいて、
浪士と呼ばれる偽名を語る輩などは毎日の様に斬られていたという。
その政治的に暗殺したと思われる相手を見るとここに大きな矛盾が発見される。
土佐勤王党である岡田以蔵は。
当然、政治的な暗殺の相手を、佐幕側や、安政の大獄に関わった人にしている。
その岡田以蔵が、勝海舟の護衛などするはずがないのだ。
また、神戸海軍塾(海軍操練所と併設された勝海舟の私塾)の名簿にも名前がある。
尊皇攘夷を歌っていた、土佐勤王党最強の刺客が、どういうわけか幕府側の開国主義者の弟子になっている。
そしてその橋渡し役はやはり海軍塾塾頭の坂本龍馬しか考えられない。
バカな男が、果たして、海軍塾に入るだろうか?
人を斬るしか能のない、酒色におぼれた男が、勝海舟を護衛するだろうか?
軍艦奉行勝海舟を斬れば全国に名が行き渡るのに。
しかも以蔵は最終的に土佐勤王党と運命を共にするのである。
まるで矛盾しているとしか言い様がない。
デビッド・宮原はその謎を作品を通して少しずつ解き明かしていった。
そしてその発見からIZOが生まれた。
近年。
岡田以蔵が勝海舟より贈られた短銃が発見された。
日本刀を隼のように速く振ったと言われる人斬りには余りにも似合わない品だ。
私物の為、限定期間でしか後悔されないという。
まだまだ岡田以蔵の真の姿は発見され続けるのだろう。
2007年08月25日
幕末シリーズ
これまで劇団前方公演墳は7本の幕末と呼ばれる江戸時代末期の物語を創作してきた。
そしていつしか、幕末モノにはずれはないとまで言って頂けるようになった。
多くの幕末ファンの方々からも絶賛の言葉を頂いた。
当初、幕末三部作とデビッド宮原は名付けた。
明治維新までの流れを何人かに焦点を当てて3本の作品で表現しようとした。
けれども、それは、3本では済まされなかった。
そして一度は終わった幕末シリーズも、その後、違った作品で蘇ったりした。
全てを観劇したお客様も、まだ観ていないお客様もいるだろう。
その一つ一つを紹介しようと思う。
1:IZO
今も再演希望の上位に存在する記念碑的作品。
人斬り以蔵と恐れられた岡田以蔵の物語。
暗殺の横行する土佐勤王党全盛の時代の京都を舞台にした作品だった。
国を変えるために立ち上がった志士たちの中で人を斬る事でしか己を表現出来ない男。
そしてその最大の暗殺事件までを描いた作品だった。
2:また冬が来て〜IZO2〜
IZOが大きな話題を呼び、一気にIZOから倍の動員を記録した作品。
京都では尊皇攘夷志士たちに暗雲がたれこみ始めていた。
それまで、大手を振って歩いた亨の街も度重なる政変によって、打倒されていく。
長州藩は薩摩や会津に京都を締め出され、土佐勤王党は弾圧を受ける。
多くの志士が死へと向かう中、い蔵が選択した道は・・・。
猿が辻の事件、八一八クーデターなど、京都が一変する時代を描いた作品。
3:龍馬よ、雲になりすませ
い蔵の作品群で語りつづけた夢である、神戸海軍塾の解散から始まる坂本龍馬の物語。
志士たちの大きな挫折から一歩一歩、坂本龍馬は未来へと進んでいく。
京都は既に、新撰組が攘夷志士たちを斬り続ける町となっていた。
「坂本龍馬はなぜこれほどまでに愛されたのか?」がテーマだった。
本来はこの作品で完結するはずだった幕末三部作も、壮大なテーマに変更を余儀なくされる。
そして、幕末最大の奇跡と言われた薩長同盟へと進んでいく。
亀山社中、薩長同盟、寺田屋襲撃、日本人初の新婚旅行を描いた作品。
4:とけながら降ちてきた雪
幕末シリーズはこの作品で一時完結した。
会場全体にすすり泣く声が充満した作品。
薩長同盟後、孤立していく坂本龍馬が、最後に仕上げた仕事、大政奉還へと向かっていく。
近代日本を生んだ明治維新。
奇跡的とも言われる無血の革命を描く。
そして、作品は時代を駆け抜けた坂本龍馬暗殺事件へと進んでいく。
孤立してまで平和な革命を目指した龍馬に、政敵でもあった志士たちがつぶやく。
「坂本龍馬は同志ではなかったが・・・」
5:ネメシスの降りた町
劇団前方公演墳が青山円形劇場に進出した作品。
満を持して、久々の岡田い蔵の登場となった。
この作品は、3大人斬りと言われた、い蔵、田中新兵衛、河上彦斉、そしてオリヂナルキャラ、桐崎半蔵を描く。
4人の人斬りが人を斬ることにそれぞれの思いを交錯していく作品だった。
圧倒的な人斬りたちの剣技、劇団初となる大人数での刀剣による立ち回りもこの作品から。
人斬りにあこがれた桐崎は人斬り達に最後に叫ぶ。
「ふざけるな!!」
6:壬生で見た月〜新選組誠剣伝〜
幕末シリーズを描く間、いずれ全員が主役にもなれる新選組を描きたいとデビッド宮原は言い続けた。
それがついに実現したの_この作品だった。
劇団初の15ステージを越える公演は千秋楽が近付くにつれて、当日券の売れ行きが伸びていった。
時代はまだ壬生浪士組と名乗り、不遇であった頃からになる。
京都の人に嫌われながらも、浪士達は厳しすぎる戒律の元、京都の治安を守りつづける。
スパイや芹沢鴨局長の暗殺、そして、京都の町に火をつけるという情報をついに手にする。
圧倒的少人数であるに関わらず真っ暗闇の池田屋に突入する新選組。
階段落ちをはじめとして信じられないような狭い空間での大人数の立ち回りを観るだけ
で多くのお客様が涙を流した。
池田屋を出た新選組が京都の町に見たものは・・・?
7:星は見ていた〜新選組誠剣伝〜
池田屋事件で名を馳せた新選組の崩壊を描いていく。
政治的な行き詰まりから、多くの人材を獲得していくも、やがて内部抗争へと発展していく。
やがて京都の町も維新回天への道によって、変わっていく。
昨日までの友と斬りあう事になった油小路事件を中心に描いた作品。
隊士たちは死を覚悟して立ち上がる。
もう引く事が出来なくなった。多くの血が流れすぎた。
女たちは大使達の背中を見送る。
以上の、7作品になる。
それと番外編といってもいいえKれど、
「恋が散る、雪が舞う」という作品もあった。
これは記憶に新しいところだけれど、二二六事件における青年将校達の恋のはな詩だった。
彼ら、青年将校も、維新をかかげ、尊皇攘夷を叫んだ、時代を違えた志士たちであった。
どの作品にも思い入れがたくさん詰まっている。
思い出すだけで涙が出てしまう作品もある。
皆様は覚えているだろうか?
い蔵の太刀を。
龍馬の叫びを。
新撰組の背中を。
そしていつしか、幕末モノにはずれはないとまで言って頂けるようになった。
多くの幕末ファンの方々からも絶賛の言葉を頂いた。
当初、幕末三部作とデビッド宮原は名付けた。
明治維新までの流れを何人かに焦点を当てて3本の作品で表現しようとした。
けれども、それは、3本では済まされなかった。
そして一度は終わった幕末シリーズも、その後、違った作品で蘇ったりした。
全てを観劇したお客様も、まだ観ていないお客様もいるだろう。
その一つ一つを紹介しようと思う。
1:IZO
今も再演希望の上位に存在する記念碑的作品。
人斬り以蔵と恐れられた岡田以蔵の物語。
暗殺の横行する土佐勤王党全盛の時代の京都を舞台にした作品だった。
国を変えるために立ち上がった志士たちの中で人を斬る事でしか己を表現出来ない男。
そしてその最大の暗殺事件までを描いた作品だった。
2:また冬が来て〜IZO2〜
IZOが大きな話題を呼び、一気にIZOから倍の動員を記録した作品。
京都では尊皇攘夷志士たちに暗雲がたれこみ始めていた。
それまで、大手を振って歩いた亨の街も度重なる政変によって、打倒されていく。
長州藩は薩摩や会津に京都を締め出され、土佐勤王党は弾圧を受ける。
多くの志士が死へと向かう中、い蔵が選択した道は・・・。
猿が辻の事件、八一八クーデターなど、京都が一変する時代を描いた作品。
3:龍馬よ、雲になりすませ
い蔵の作品群で語りつづけた夢である、神戸海軍塾の解散から始まる坂本龍馬の物語。
志士たちの大きな挫折から一歩一歩、坂本龍馬は未来へと進んでいく。
京都は既に、新撰組が攘夷志士たちを斬り続ける町となっていた。
「坂本龍馬はなぜこれほどまでに愛されたのか?」がテーマだった。
本来はこの作品で完結するはずだった幕末三部作も、壮大なテーマに変更を余儀なくされる。
そして、幕末最大の奇跡と言われた薩長同盟へと進んでいく。
亀山社中、薩長同盟、寺田屋襲撃、日本人初の新婚旅行を描いた作品。
4:とけながら降ちてきた雪
幕末シリーズはこの作品で一時完結した。
会場全体にすすり泣く声が充満した作品。
薩長同盟後、孤立していく坂本龍馬が、最後に仕上げた仕事、大政奉還へと向かっていく。
近代日本を生んだ明治維新。
奇跡的とも言われる無血の革命を描く。
そして、作品は時代を駆け抜けた坂本龍馬暗殺事件へと進んでいく。
孤立してまで平和な革命を目指した龍馬に、政敵でもあった志士たちがつぶやく。
「坂本龍馬は同志ではなかったが・・・」
5:ネメシスの降りた町
劇団前方公演墳が青山円形劇場に進出した作品。
満を持して、久々の岡田い蔵の登場となった。
この作品は、3大人斬りと言われた、い蔵、田中新兵衛、河上彦斉、そしてオリヂナルキャラ、桐崎半蔵を描く。
4人の人斬りが人を斬ることにそれぞれの思いを交錯していく作品だった。
圧倒的な人斬りたちの剣技、劇団初となる大人数での刀剣による立ち回りもこの作品から。
人斬りにあこがれた桐崎は人斬り達に最後に叫ぶ。
「ふざけるな!!」
6:壬生で見た月〜新選組誠剣伝〜
幕末シリーズを描く間、いずれ全員が主役にもなれる新選組を描きたいとデビッド宮原は言い続けた。
それがついに実現したの_この作品だった。
劇団初の15ステージを越える公演は千秋楽が近付くにつれて、当日券の売れ行きが伸びていった。
時代はまだ壬生浪士組と名乗り、不遇であった頃からになる。
京都の人に嫌われながらも、浪士達は厳しすぎる戒律の元、京都の治安を守りつづける。
スパイや芹沢鴨局長の暗殺、そして、京都の町に火をつけるという情報をついに手にする。
圧倒的少人数であるに関わらず真っ暗闇の池田屋に突入する新選組。
階段落ちをはじめとして信じられないような狭い空間での大人数の立ち回りを観るだけ
で多くのお客様が涙を流した。
池田屋を出た新選組が京都の町に見たものは・・・?
7:星は見ていた〜新選組誠剣伝〜
池田屋事件で名を馳せた新選組の崩壊を描いていく。
政治的な行き詰まりから、多くの人材を獲得していくも、やがて内部抗争へと発展していく。
やがて京都の町も維新回天への道によって、変わっていく。
昨日までの友と斬りあう事になった油小路事件を中心に描いた作品。
隊士たちは死を覚悟して立ち上がる。
もう引く事が出来なくなった。多くの血が流れすぎた。
女たちは大使達の背中を見送る。
以上の、7作品になる。
それと番外編といってもいいえKれど、
「恋が散る、雪が舞う」という作品もあった。
これは記憶に新しいところだけれど、二二六事件における青年将校達の恋のはな詩だった。
彼ら、青年将校も、維新をかかげ、尊皇攘夷を叫んだ、時代を違えた志士たちであった。
どの作品にも思い入れがたくさん詰まっている。
思い出すだけで涙が出てしまう作品もある。
皆様は覚えているだろうか?
い蔵の太刀を。
龍馬の叫びを。
新撰組の背中を。
2007年08月24日
はじめに。
平成十年十月十日。
十が3つ並んだ日に劇団前方公演墳は旗揚げをした。
その日、おいらはステージの上にはいなかったし、
今はもう劇団員ではないメンバーがそこにはいた。
あれから間もなく、九年の歳月が経とうとしている。
確実に何かが変わり、確実に何かを捨て、確実に進んできた。
今年の十月十日を過ぎて。
いよいよ十年目に入る。
そしてその九周年記念日の直後から、
十周年記念企画公演が始まる。
その第一弾は、「IZO」&「また冬が来て〜IZO2〜」に決定した。
5〜7年も前の作品になるなんてとても信じられない。
今も、当時の事を思い出す事ができる。
どんな事があって、どんな風に公演が行われたか。
そして、それ以来、この劇団がどんな風に変わったのか。
このBLOGは一年に渡って。
この十周年記念公演企画についての特設BLOGとして開設された。
毎日書けるかどうかは分からない。
それでも、少しでも作品を楽しんでいただける手助けになればと思う。
はじめは、「IZO」&「また冬が来て〜IZO2〜」だけのBLOGの予定だった。
でも、せっかくの十周年企画。
これから、一年に渡って、少しずつ発表していきたいと思う。
劇団前方公演墳の歩みなんかも書けたらきっと面白いはずだ。
既に第一弾公演のチケットは発売開始された。
週末の公演は売れ行きが好調で、2〜3日中にもSOLDマークが立つだろう。
皆様に応援していただいて。
いよいよ十年目へと一歩踏み出そうとしている。
さぁ。
どんな事を書こうか?
十が3つ並んだ日に劇団前方公演墳は旗揚げをした。
その日、おいらはステージの上にはいなかったし、
今はもう劇団員ではないメンバーがそこにはいた。
あれから間もなく、九年の歳月が経とうとしている。
確実に何かが変わり、確実に何かを捨て、確実に進んできた。
今年の十月十日を過ぎて。
いよいよ十年目に入る。
そしてその九周年記念日の直後から、
十周年記念企画公演が始まる。
その第一弾は、「IZO」&「また冬が来て〜IZO2〜」に決定した。
5〜7年も前の作品になるなんてとても信じられない。
今も、当時の事を思い出す事ができる。
どんな事があって、どんな風に公演が行われたか。
そして、それ以来、この劇団がどんな風に変わったのか。
このBLOGは一年に渡って。
この十周年記念公演企画についての特設BLOGとして開設された。
毎日書けるかどうかは分からない。
それでも、少しでも作品を楽しんでいただける手助けになればと思う。
はじめは、「IZO」&「また冬が来て〜IZO2〜」だけのBLOGの予定だった。
でも、せっかくの十周年企画。
これから、一年に渡って、少しずつ発表していきたいと思う。
劇団前方公演墳の歩みなんかも書けたらきっと面白いはずだ。
既に第一弾公演のチケットは発売開始された。
週末の公演は売れ行きが好調で、2〜3日中にもSOLDマークが立つだろう。
皆様に応援していただいて。
いよいよ十年目へと一歩踏み出そうとしている。
さぁ。
どんな事を書こうか?
